発覚・逮捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:17 UTC 版)
「京都・大阪連続強盗殺人事件」の記事における「発覚・逮捕」の解説
同月22日、廣田は「犯人から自宅に電話があり、ピストルの隠し場所を教えてきた」と届け出、六孫王神社(京都市南区八条通)の境内で、盗難された拳銃(ニューナンブ38口径、実包4発入り)と空薬莢1個が回収されたが、当時の廣田の状況説明に曖昧な点が多かったことや、捜査中に不審な言動を取っていたこと、そして廣田が事件当日、署の外勤室で数分間一人になり、拳銃を保管庫から自由に取り出せる状態にあったことなどから、廣田は重要参考人として取り調べを受けた。廣田は「自分は拳銃の発見に努力したのに、疑われて残念だ」などと容疑を否認し、ポリグラフ検査を拒否するなどしたが、23日に窃盗容疑で逮捕された。翌24日、廣田は窃盗・銃砲刀剣類所持等取締法違反・火薬類取締法違反の容疑で京都地方検察庁に送検され、同日付で懲戒免職処分を受けた。さらに同月26日には郵便局での強盗傷人容疑で再逮捕され、8月17日には窃盗・銃刀法違反・火薬類取締法違反・強盗傷人の罪で京都地方裁判所に起訴された。 廣田は逮捕後も容疑を否認し、強盗事件が起きた21日当時の行動について「新聞を買いに出た」「子供を散歩に連れて出た」「南区の知人宅で話し込んでいた」とアリバイを主張したが、それらの主張はすべて虚偽であることが判明。7月27日になって犯行の一部を認め、逮捕から10日目の8月1日には犯行をほぼ全面的に自供した。動機については、当初は「信頼していた直属の上司が自分の病気欠勤のことで悪口を言っているとの噂を聞き、『拳銃がなくなれば困るだろう』ととっさに思いついた」と供述し、計画性を否定した。しかし、多額の借金があったことを追及され、強盗については「借金返済のために金が欲しかったため、かねてから事情を知っていた札ノ辻郵便局を襲った」と自供したが、拳銃窃盗の計画性については一貫して否定した。なお、銀行員銃撃事件については被害者が「廣田らしき男を追い越した直後、至近距離から発砲された」と主張したことや、現場の道幅は狭く、人通りがあれば必ず目に入るであろう場所であったことなどから、(強盗)殺人未遂容疑の適用も検討したが、廣田は強盗の犯意は認めたものの、殺意に関しては否認し、殺意の存在を裏付ける証拠もなかったため、強盗未遂罪での立件となった。 当時は田岡一雄(山口組組長)が銃撃される事件が発生したばかりで、暴力団の対立抗争が激化し、拳銃などの武器摘発に全国の警察が躍起になっている中で発生した事件であり、京都府警に衝撃が走った。また、同年1月には制服警官女子大生殺人事件が発生しており、警察官の規律が大問題となっていた直後に本事件が発生したことで、社会に衝撃を与え、警察の威信は大きく失墜する形となった。それまでの警察不祥事事件は多くが20歳代など、比較的年代の若い警官に集中していた一方、廣田によるこの事件は「安定した世代」と見られていた中堅級警察官による事件であったことも注目された。 一方、本事件をきっかけに京都府警における拳銃取り扱い規定が順守されていなかったことも問題視された。一連の事件を受け、京都府警本部長の佃泰は8月18日付で引責辞任し、廣田の直属の上司だった西陣署長の小西昭が6か月間の減給処分(100分の10)と警備第一課長への左遷を受けるなど、合わせて11人が懲戒処分を受けた。
※この「発覚・逮捕」の解説は、「京都・大阪連続強盗殺人事件」の解説の一部です。
「発覚・逮捕」を含む「京都・大阪連続強盗殺人事件」の記事については、「京都・大阪連続強盗殺人事件」の概要を参照ください。
- 発覚逮捕のページへのリンク