発見と命名の歴史とは? わかりやすく解説

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発見と命名の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 05:24 UTC 版)

スキピオニクス」の記事における「発見と命名の歴史」の解説

スキピオニクス1981年アマチュア古生物研究家Giovanni Todescoによりナポリの約70 km北東にあるピエトラローヤの縁にある小さなLe Cavere採石場発見された。化石発見されたこの地は海成ピエトラローヤ石灰岩層、もしくはPlattenkalkと呼ばれる保存状態良い珍しい化石産出することで知られる地層である。Todescoはこの化石絶滅した鳥類のものである考えたヴェローナ近郊サン・ジョヴァンニ・イラリオーネにある自宅地下室でこの化石の剖出作業を行った。Todescoは剖出を行うにあたって光学機器一切使用せず化石の上チョーク (岩石)母岩取り除いたあとビニルグルーで覆った。Todescoは化石入った石板の縁に破片貼り付けて強化した。また化石を完全に回収することに失敗し作業のどこかで化石大きく欠失したため欠けた部分同じようポリエステル樹脂製の偽の尾を付け加えた1993年初頭、Todescoこの化石動物に歯の突き出たにちなんだcagnolino、"little doggie"という愛称をつけ、ミラノ市立自然史博物館古生物学者Giorgio Teruzziのもとに見てもらいに行った。Teruzziはこの化石獣脚類恐竜幼体であると同定しミラノ守護聖人アンブロジウスにちなんでAmbrogio という愛称名づけた。Teruzzi自身恐竜専門家ではなかったため、同僚の父Guiseppe Leonardiに助言求めたイタリアではこういった化石などの発見物法律国有財産となるため、Todescoは科学記者Franco Caponeに発見当局報告するように説得された。1993年10月15日にTodescoは化石直接ナポリ考古学監督届けた標本はSoprintendenza per i Beni Archeologici di Salerno, Avellino, Benevento e Caserta収蔵物加えられ、公式には現在もその状態にある。2002年4月19日からベネヴェント考古学博物館イタリア語版)で展示された。 1993年にTeruzziとLeonardiはこの発見について科学的な報告したところ、イタリアで最初恐竜の発見であったため注目集めた。また発表時に大衆雑誌Oggi英語版)はこの動物典型的なナポリ男の子の名前であるCiro という愛称をつけた。これはチーフディレクターPino Aprileのアイディアである。1994年にはLeonardiがこの発見に関する長大論文発表した1995年フェデリコ2世・ナポリ大学Marco Signoreは化石長い記載を含む学位論文提出し、この動物を「Dromaeodaimon irene」と命名した学位論文出版物とは認められないため、この命名は不正当な nomen ex dissertatione(学位論文による命名)の状態ままであった一方サレルノではSergio Rampinelliが化石更なる剖出を始めており、300時間に及ぶ作業結果Todescoにより付けられた偽の尾が除去され保護用のため付けられたビニルグルーを化石保存用の樹脂取り替え化石露出させる作業仕上げが行われた。この時にこの標本には軟組織大部分保存されていることが判明した1998年Ciro名づけられたこの標本大部分軟組織保存され貴重なのであることから、雑誌ネイチャー表紙飾りMarco Signore およびクリスティアーノ・ダル・サッソ(イタリア語版)によりタイプ種Scipionyx samniticus として命名記載された。属名Scipionyxラテン語の名前Scipio と古代ギリシャ語で「爪を意味する」 ὄνυξ(onyx)から派生した語で、組み合わせてスキピオの爪」を意味する。「スキピオ」は18世紀地質学者であり、化石の発見地の累層最初に記載した スキピオーネ・ブライスラーク(英語版)とハンニバル戦った有名なローマ執政官であるスキピオ・アフリカヌス両方にちなんだものである種小名samniticus は「サムニウムからの」を意味しピエトラローヤ周辺地域ラテン語サムニウム由来する。「Italosaurus」、 「Italoraptor」、 「Microraptor」などいくつか別の名前も考案されたが棄却された。 ホロタイプSBA-SA 163760はアルビアン前期の約1億1000万年前地層から発見され幼体個体のほぼ完全な骨格であり、失われているのは尾の先端下肢、右の第二指のかぎ爪のみである。広範に渡り軟組織保存されているものの、皮膚および羽毛といった体の表面を覆うものは一切保存されていない。 この発見は特に重要性があるため、化石2005年12月から2008年10月の間にミラノ集中的な研究が行われ、2011年にダル・サッソとSimone Maganucoによりモノグラフとして発表された。このモノグラフには単一恐竜の種についてのものとしてはこれまで最も広範な情報記載されている。

※この「発見と命名の歴史」の解説は、「スキピオニクス」の解説の一部です。
「発見と命名の歴史」を含む「スキピオニクス」の記事については、「スキピオニクス」の概要を参照ください。

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