発見と命名の歴史
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スキピオニクスは1981年にアマチュア古生物研究家のGiovanni Todescoによりナポリの約70 km北東にあるピエトラローヤ村の縁にある小さなLe Cavere採石場で発見された。化石が発見されたこの地は海成ピエトラローヤ石灰岩層、もしくはPlattenkalkと呼ばれる保存状態の良い珍しい化石が産出することで知られる地層である。Todescoはこの化石が絶滅した鳥類のものであると考えた。ヴェローナ近郊のサン・ジョヴァンニ・イラリオーネにある自宅の地下室でこの化石の剖出作業を行った。Todescoは剖出を行うにあたって光学機器は一切使用せず、化石の上のチョーク (岩石)の母岩を取り除いたあとビニルグルーで覆った。Todescoは化石の入った石板の縁に破片を貼り付けて強化した。また化石を完全に回収することに失敗し、作業のどこかで化石を大きく欠失したため、欠けた部分と同じようにポリエステル樹脂製の偽の尾を付け加えた。1993年初頭、Todescoこの化石の動物に歯の突き出た顎にちなんだcagnolino、"little doggie"という愛称をつけ、ミラノ市立自然史博物館の古生物学者Giorgio Teruzziのもとに見てもらいに行った。Teruzziはこの化石を獣脚類恐竜の幼体であると同定し、ミラノの守護聖人アンブロジウスにちなんでAmbrogio という愛称を名づけた。Teruzzi自身は恐竜の専門家ではなかったため、同僚の父Guiseppe Leonardiに助言を求めた。イタリアではこういった化石などの発見物は法律で国有財産となるため、Todescoは科学記者Franco Caponeに発見を当局に報告するように説得された。1993年10月15日にTodescoは化石を直接ナポリの考古学監督に届けた。標本はSoprintendenza per i Beni Archeologici di Salerno, Avellino, Benevento e Caserta の収蔵物に加えられ、公式には現在もその状態にある。2002年4月19日からベネヴェント考古学博物館(イタリア語版)で展示された。 1993年にTeruzziとLeonardiはこの発見について科学的な報告したところ、イタリアで最初の恐竜の発見であったため注目を集めた。また発表時に大衆雑誌Oggi(英語版)はこの動物に典型的なナポリの男の子の名前であるCiro という愛称をつけた。これはチーフディレクターのPino Aprileのアイディアである。1994年にはLeonardiがこの発見に関する長大な論文を発表した。1995年にフェデリコ2世・ナポリ大学のMarco Signoreは化石の長い記載を含む学位論文を提出し、この動物を「Dromaeodaimon irene」と命名した。学位論文は出版物とは認められないため、この命名は不正当な nomen ex dissertatione(学位論文による命名)の状態ままであった。一方、サレルノではSergio Rampinelliが化石の更なる剖出を始めており、300時間に及ぶ作業の結果Todescoにより付けられた偽の尾が除去され、保護用のため付けられたビニルグルーを化石保存用の樹脂と取り替え、化石を露出させる作業の仕上げが行われた。この時にこの標本には軟組織の大部分が保存されていることが判明した。 1998年にCiroと名づけられたこの標本は大部分の軟組織が保存された貴重なものであることから、雑誌ネイチャーの表紙を飾り、Marco Signore およびクリスティアーノ・ダル・サッソ(イタリア語版)によりタイプ種Scipionyx samniticus として命名、記載された。属名Scipionyx はラテン語の名前Scipio と古代ギリシャ語で「爪を意味する」 ὄνυξ(onyx)から派生した語で、組み合わせて「スキピオの爪」を意味する。「スキピオ」は18世紀の地質学者であり、化石の発見地の累層を最初に記載した スキピオーネ・ブライスラーク(英語版)とハンニバルと戦った有名なローマの執政官であるスキピオ・アフリカヌスの両方にちなんだものである。種小名samniticus は「サムニウムからの」を意味し、ピエトラローヤ周辺地域のラテン語名サムニウムに由来する。「Italosaurus」、 「Italoraptor」、 「Microraptor」などいくつか別の名前も考案されたが棄却された。 ホロタイプSBA-SA 163760はアルビアン前期の約1億1000万年前の地層から発見され、幼体の個体のほぼ完全な骨格であり、失われているのは尾の先端と下肢、右の第二指のかぎ爪のみである。広範に渡り軟組織が保存されているものの、皮膚および鱗、羽毛といった体の表面を覆うものは一切保存されていない。 この発見は特に重要性があるため、化石は2005年12月から2008年10月の間にミラノで集中的な研究が行われ、2011年にダル・サッソとSimone Maganucoによりモノグラフとして発表された。このモノグラフには単一の恐竜の種についてのものとしてはこれまで最も広範な情報が記載されている。
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