流行歌の鼻祖とは? わかりやすく解説

流行歌の鼻祖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 09:51 UTC 版)

二村定一」の記事における「流行歌の鼻祖」の解説

二村は、1920年代初頭いち早く海外ポピュラーソング興味持って独学歌唱法習得していた。 そのため1920年代後半には、大阪のユニオンダンスホールで活躍していた井田一郎ジャズバンドヴォーカリストとして参加するなど、日本有数ジャズシンガーとなっていた。 一方で1927年7月20日ヴェルディの「リゴレット」、9月21日、同じヴェルデイの「アイーダ」、11月23日ワーグナーの「タンホイザー」のラジオオペラに出演したり、リサイタル開きマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」やヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」の一部や「帰れソレントへ」などを唄うなど新進テナー歌手としても活躍したレコードについては、浅草オペラ時代1924年大正13年)から佐々紅華脚本作曲による喜歌劇お伽歌劇吹き込みはじめ、1925年大正14年)からはニッポノホンで「テルミー」などの外国曲吹込んだ。 昭和に入ると、天野喜久代とともに堀内敬三によって起用され放送オペラ出演するほか、1928(昭和3年)にはニッポノホン、ビクター吹込んだ堀内訳詞による「私の青空あほ空)」「アラビヤの唄」が大ヒット1929年昭和4年)にはビクターから発売された「君恋し」「浪花小唄」「神田小唄」が連続してヒットし佐藤千夜子ともにレコード歌手第一号と呼ばれた1930年昭和5年)夏、コロムビア移籍してからは、「エロ草紙」「チョンマゲ道中」などの中ヒット多くその後タイヘイ太陽などのマイナーレーベルからも200曲以上を発売。 「東京行進曲」の佐藤千夜子とともに日本流行歌手パイオニアであった口さがないファンは、二村大きな鼻に引っ掛けて「流行歌の鼻祖」と呼んでいた。 二村明快な歌声であるが、ジャズよくする傍ら邦楽そつなくこなし、1930年代アメリカポピュラー音楽界で主流であったクルーナー唱法をもマスターするなどその技術面際立っていた。 一方では「笑ひのようなコミックソング豊かな表現力歌い技巧的に優れていた。 1930年昭和5年)、カジノ・フォーリー公演参加して以来榎本健一行動をともにし、同年一緒にプペ・ダンサント加入カジノ・フォーリー川端康成により新聞小説浅草紅団」に紹介され一躍大人気博した文才もあり俳優としての才能富んでいた。全盛期ステージは 「・・・古老から、名古屋公演のようすを聞いたことがある。「ソーニャ」の演奏合わせて舞台の袖からセーラーズボン颯爽と歌いながら登場した二村定一ぞくぞくするほど格好よかった。・・・」 という。 レコード歌手としての活躍後はボードビリアンとして活躍した愛称の『ベーちゃん』は本人は「ベートーヴェン似ているからだ」と言っていたが実際はその大きな鼻がシラノ・ド・ベルジュラック連想させるころから付いたものだといわれている。 1931年昭和6年)に榎本健一二人座長立ち上げたピエル・ブリヤント浅草人気独占した映画への進出によって、その人気は全国的なものとなったPCL映画エノケン主演 青春酔虎伝」の出演皮切りに、「エノケンの近藤勇」「千万長者」「どんぐり兵衛」「ちゃっきり金太」と映画連続ヒット舞台においても野球人気便乗した民謡六大学」が大当たりした。 ただ、エノケン人気先行した劇団も「エノケン一座」と呼ばれるようになった)ことに腹を据えかねた二村は、たびたび一座離れ小林千代子一座などを転々とし、1940年昭和15年)の東宝映画エノケン弥次喜多」を最後に袂を分かち独立した活動を行うようになってしまい、以降浅草舞台中心に細々舞台活動続けていた。

※この「流行歌の鼻祖」の解説は、「二村定一」の解説の一部です。
「流行歌の鼻祖」を含む「二村定一」の記事については、「二村定一」の概要を参照ください。

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