流行範囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/05 07:04 UTC 版)
明治期のウサギバブルが東京、大阪の都市部周辺に限られていたのに対して、アンゴラ狂乱の影響は比較にならないほど拡大した。昭和5年春までに影響が大きかったのは東京、神奈川、静岡、愛知、大阪、兵庫、広島、福岡で、ほかにも農村の疲弊が激しかった東北地方、肉用、毛皮用種の養兎が盛んだった長野県を除けば、北は北海道、樺太、南は沖縄、台湾、さらに朝鮮、満州、青島まで影響を及ぼした。 子ウサギの販売を目的とした株式会社、名前だけの研究所、普及奨励会、商会、兎園、兎場などが次々と設立され、昭和5年秋ごろまでに出現した「アンゴラ屋」は、神戸から大阪にかけて170 - 180軒、名古屋を中心に120 - 130軒、東京に140 - 150軒、神奈川、岐阜、京都で30 - 40軒、静岡、三重、岡山、広島、福岡でも20軒以上あった。しかし、これらは広告を出したり、看板を掲げたりしていた業者の数であり、大多数は小規模な「潜り」の業者であったため際限がなかった。新聞、雑誌の広告欄もアンゴラウサギの広告が増えていった。阪神地方では新聞広告が多く、大阪朝日新聞、大阪毎日新聞のほか、神戸新聞や神戸又新日報などは一面をあげて種兎場案内を掲載した。対して、東京では雑誌広告が多かった。 広告欄に掲載された種兎場のキャッチコピーには以下のようなものがあった。 「種で売り、毛で奉仕」大江田中アンゴラ商会(神戸) 「副業の王座を占むるアンゴラ兎の飼育!農家は勿論一般家庭の大福音!!」帝国副業奨励会(神戸) 「国家的新産業!!堅実なる尖端的副業としてアンゴラ兎を奨励す」大江隈部アンゴラ商会(名古屋) 「富国増進、家庭副業」帝国アンゴラ株式会社(名古屋) 「確実有利、国産振興」天寿園(大阪) 「兎を殺さず、毛を刈って金になる」ローヤルアンゴラ採毛兎普及会(京都) 「産業立国の実現は副業としてアンゴラ兎飼養」ローヤルアンゴラ兎普及株式会社(東京) 「有利なる副業の開拓優美なる毛糸の権威」大日本アンゴラ株式会社(東京)
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