活動と業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/21 14:59 UTC 版)
これまでに9冊の書籍を執筆し(いずれも未訳)、〈ディジタル反対論者〉として知られている。最も知られている著作は『ディジタルの毒:教育へのインターネットの害』 (Digital Hemlock: internet education and poisoning of teaching) 、および『Google大学』 (The University of Google) と題されたもので、学生向けに情報化時代に向き合うための基本的な足がかりを与えるものである。ポストコロニアリズムを扱った『ジャックを追いかけて:対蹠地への撤退』 (Tracking the Jack) 、『周縁の遊び:スポーツ、記憶、アイデンティティ』 (Playing on the Periphery: sport, memory and identity) などもある。 ポピュラー・カルチャー研究も行っており、『南太平洋のリヴァプール:パースとそのポップ・ミュージック』 (Liverpool of the South Seas: Perth and its popular music) 、『革命から革命まで:X世代、ポップ・カルチャー、ポップ・メモリー』 (From Revolution to Revolution: Generation X, Popular Culture, Popular Memory) が2005年に刊行された。さらに『革命はダウンロードできない:ディタル・エイジの異議申し立て』 (The Revolution will not be downloaded: dissent in the digital age) を2008年1月刊行。もっとも新しい著作は『Google大学:(ポスト)情報化時代の教育』 (The University of Google: education in the (post) information age) である。『ポピュラー・カルチャーを考える:戦争、執筆、テロリズム』 (Thinking Popular Culture: war, writing and terrorism) が2008年6月に刊行予定。 ポピュラー・カルチャーの質的改善を目的にした非営利組織Popular Culture Collectiveの代表をつとめている。 オーストラリアン・オブ・ザ・イヤーの最終選考に残ったこともあり、大学院教育、障害者教育、文化研究教育への貢献に対して複数の賞を受けている。またオープンで読み手を選ばない執筆活動も評価され、Times Higher Education(THE)の執筆者もつとめている。 ブラバゾンは彼女の講義の受講者に対して、Googleおよびウィキペディアの使用を禁じたと報道されたことがある。ブライトン大学就任の言葉は『Googleは精神的精白パン(=育ちはよいが面白みのないやつ)である』("Google is White Bread for the Mind")と題されていた。The Time紙およびThe Guardian紙で特集が組まれたこともある。
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活動と業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 20:05 UTC 版)
1876年に設立された東京女子師範学校付属幼稚園にて、初代監事(園長)関信三の下で首席保母となり、豊田芙雄(ふゆ、女性)・近藤濱を保母として、フレーベルの恩物の使い方や遊戯、実際的な保育の技法を通じて、フレーベルの教授法を初めて日本に導入するに当たり功績があった。また、1878年設置の同校保母練習科で保育法をも教授した。宮内省式部職の命により、1879年から雅楽部の小篠秀一、芝葛鎮、東儀季芳、奥好義に、1884年から辻則承に、ネイサン・リチャードソンの教則本「ピアノフォルテのためのニュー・メソッド」を用いてピアノを教えている。のち1881年以後は、華族女学校でピアノを指導している。 なお、夫が死去した翌年の1909年(明治42年)、千葉県清澄山周辺にある東京大学千葉演習林の外国樹種植栽一帯を「松野記念林」とし、クララの主導により外国樹種の記念植林が行われた。
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