活動と編成
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宣伝中隊の活動と編成については、1943年にOKWと宣伝省国防課が協同で作成した「宣伝中隊野戦教範」(grundlegendes Feldhandbuch der PK)なる文書にて定められている。 PKは、軍上級司令部(Armeeoberkommando, AOK)に従属する。 PKの主たる任務は、作戦区域における宣伝および戦況確認である。 作戦区域にて収集した情報を宣伝省に報告し、対敵宣伝戦に利用する。 PK長はAOK副官の指揮下に入り、国防軍情報部員と協同で任務に就く。 PKはAOKおよび宣伝省の命令を遂行する。 戦闘に参加し、輜重隊を利用して宣伝材料を後方へと送る。この際、士官は軍事的観点から宣伝材料の検閲を行わねばならない。 PKの活動内容は、ドイツ国防軍の快進撃が終わる1941年冬から1942年にかけて大きく転換した。以後は能動的宣伝(Aktivpropaganda)または戦闘宣伝(Kampfpropaganda)と呼ばれる敵軍の士気を挫く事を目的とした活動に重点が置かれるようになる。ただし、1940年初頭には既にこの種の活動として、前線に配置されていた隊員によって「人種的に優れた」ドイツ人と敵国人を対比する内容の記事がいくつか書かれている。1940年代前半には在フランスPK記者がフランス人捕虜を取材し、フランス軍は非常に弱体化していた旨の記事を書いている。1941年7月に作成されたPKのニュース映画にも、陳腐な風刺と共にロシア人捕虜を撮影したものがあった。また、ゲットーの設置などドイツのユダヤ人政策を正当化する記事も多く書かれた。ワルシャワ・ゲットーに関する多くの記事は、ユダヤ人達は正当な処置の元にあると報じた。代表的な記事の1つが、1939年12月5日に新聞『ベルリン画報(ドイツ語版)』(Berliner Illustrirten Zeitung)に掲載されたPK隊員アルトゥール・グリム(ドイツ語版)による記事である。この記事では、ポーランド兵の墓から武器を掘り起こして「卑劣な犯罪」を働いたゲットー在住のユダヤ人が逮捕された旨を報じていたが、写真は後に「再現」して撮影されたものだったという。
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