民生銃として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 05:58 UTC 版)
スイスでは兵役後に小銃を個人所有することが認められている。1991年以前、兵役満了者はSG510を返納し、K31小銃を受け取っていた。これらのSG510は整備の後に新たな入隊者へと貸与されていた。 1991年から2014年までに、165,702丁のSG510が兵役満了者へと引き渡された。引き渡し時、一部の部品の取り外し・交換によって、フルオート射撃機能は完全に無効化された。2003年からはアイアンサイトをディオプターサイトとグローブサイトに交換する改修が可能になった。改修されたものはStgw 57/03、未改修のものはStgw 57/02として区別される。どちらのモデルも依然として連邦防衛・国民保護・スポーツ省の予備装備として位置づけられている。 アメリカ合衆国では、1969年から1989年にかけて、SG510が民生銃として輸入されていた。輸入されたのはSG510-1(PE57の名称で販売された)とSG510-4で、どちらもセミオート射撃のみ可能な仕様に改められていた。1969年の時点で、SG510-4の輸入数は極めて少なかった。FN FALのGシリーズと同様、オリジナルの機関部に改造を施しセミオート射撃のみ行えるようにしており、BATFからは「半自動小銃」と区分され、フルオート射撃機能が復元されない限りにおいて、「マシンガン」とは見なされなかった。同年末にはイギリスやイタリアなど諸外国の新しい銃規制基準を取り入れ、SG510-4をスポーツライフルらしく再設計したモデルがSIG AMTとして発表された。AMTはAmerican Match Target(アメリカ向け競技射撃用)の略で、着剣具や擲弾発射機能が廃止されていた。1989年までに3,000丁程度が輸入されたと言われている。銃の評価自体は高かったものの、競合製品のAR-15やHK91と比べて非常に高価だったため、広く普及することはなかった。
※この「民生銃として」の解説は、「SIG SG510」の解説の一部です。
「民生銃として」を含む「SIG SG510」の記事については、「SIG SG510」の概要を参照ください。
民生銃として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 00:53 UTC 版)
「ウィンチェスター M1895」の記事における「民生銃として」の解説
以前のウィンチェスターライフルと同様、M1895には発売時に1から始まる新しい製造番号の割り当てが行われた。軍用契約モデルも含めると最終的に425,881丁が製造され、生産終了時点の製造番号は425,132だった。銃身は使用弾薬やグレードに応じて24インチから28インチのものが標準的に取り付けられ、金属部品はブルーイングされていた。 M1895はセオドア・ルーズベルト元大統領が愛用したことで知られるが、そのほかにも多くの有名な猟師や冒険家、例えばマーチン&オーサ・ジョンソン(英語版)、チャールズ・コター(Charles Cottar)、作家スチュワート・エドワード・ホワイトなども愛用していた。W・D・M・ベル(英語版)の狩猟仲間で銃器専門家の作家エルマー・キース(英語版)の友人でもあり、フランクリン・ルーズベルトのいとこでもあったガーリット・フォーブス(Garrit Forbes)は、.405ウィンチェスター弾仕様のM1895をセオドア・ルーズベルトに勧めていた。 1909年の東アフリカにおける狩猟旅行にて、セオドア・ルーズベルトは.405ウィンチェスター弾仕様のM1895を2丁持ち込んだ。また、息子のカーミット・ルーズベルト(英語版)も、同行するにあたって.405仕様と.30-03仕様のM1895を1丁ずつ持ち込んでいる。カーミットの.30-03仕様M1895は失われたが、3丁の.405仕様M1895の製造番号は63727、63736、68180と突き止められている。セオドア・ルーズベルトは、著書『African Game Trails』の中で.405仕様M1895を称賛し、「ライオンに対処するための最良の銃」('medicine gun' for lions)という表現で何度か言及している しかし、我々が立ち上がった時、後ろにいたポーターの1人が「シンバ!」と叫び、枯れ川のすぐ向こうの木々の合間を走り去る大きなメスライオンをほんの一瞬目にしたのだった……タールトンは彼の大きなダブルバレルを手にとって、私にも散弾銃を取るように助言した。太陽は沈みかけ、恐らくは至近距離での遭遇になるものと思われた。しかし、私は頭を振る。ウィンチェスターの405口径こそ、少なくとも私にとっては、ライオンに対処するための最良の銃であるからだ。But as we stood, one of the porters behind called out "Simba"; and we caught a glimpse of a big lioness galloping down beside the trees, just beyond the donga … Tarlton took his big double-barrel and advised me to take mine, as the sun had just set and it was likely to be close work; but I shook my head, for the Winchester 405 is, at least for me personally, the "medicine gun" for lions. しばしばルーズベルトは.405仕様のM1895を「ビッグ・メディスン」(big medicine)と称していたと言われるが、『African Game Trails』の中にこの表現は見られない。これは「メディスン・ガン」(medicine gun)という表現と、1901年の演説で使われた「棍棒」(big stick)という表現が誤って組み合わされたものと考えられている。 .30-40弾仕様あるいは.30-06弾仕様のM1895ライフルおよびカービンは、テキサス・レンジャーやアリゾナ・レンジャー(英語版)の隊員に愛用された。 1985年、ブローニング・アームズ社は.30-06弾仕様のモデルを再発売した。2001年末、ウィンチェスター社はセオドア・ルーズベルトの大統領就任100周年を記念し、彼が愛用した.405ウィンチェスター仕様のモデルに加え、.30-06弾仕様、.30-40弾仕様のモデルを再発売した。2008年、ウィンチェスター社は2丁1組のセオドア・ルーズベルト記念モデルを発表した。2009年、さらにルーズベルトが退任後の1909年に行ったアフリカ狩猟旅行を記念した2丁1組のモデルが発表された。 ブローニングおよびウィンチェスターの再販モデルは、いずれも日本のミロク社が製造したものである。ウィンチェスターの再販モデルでは、リバウンディングハンマーとタングセーフティが追加されている。また、トリガーの形状も改められており、旧モデルに取り付けることはできない。
※この「民生銃として」の解説は、「ウィンチェスター M1895」の解説の一部です。
「民生銃として」を含む「ウィンチェスター M1895」の記事については、「ウィンチェスター M1895」の概要を参照ください。
- 民生銃としてのページへのリンク