歴史的治療
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/19 14:01 UTC 版)
医学的に確立された治療法が存在しなかった20世紀の初頭には、多くの奇妙で危険性のある治療法が提案された。ジョン・ヘイヴン・エマーソン(英語版)による「1916年のニューヨークにおける急性灰白髄炎 (小児麻痺) の流行についてのモノグラフ」(A Monograph on the Epidemic of Poliomyelitis (Infantile Paralysis) in New York City in 1916)には、当時提案されていた治療法が挙げられている。 「 陽電荷によって下肢に酸素を与える。アーモンドの粉末を使うか、酸化した水に何度も入浴する。ローマンカモミール、アカニレ(英語版)、アルニカ(英語版)、マスタードシード(英語版)、スパニッシュフライ、アーモンドオイルなどの湿布の使用。特にカンショウ(英語版)とウツロイイグチ(英語版)のオイルは効果がある。カフェイン、コーラの種子、乾燥キニーネ塩化物、キナノキのエリキシル剤、ラジウム水溶液、金の塩化物、石灰水、ペプシン含有ワインを内服する。 」 1916年の流行とそれに対する治療がほとんど効果がなかったことを受けて、研究者たちは新たなより良い治療法を探し始めた。1917年から1950年代初頭の間に、四肢の変形を防ぐ試みとして水治療法と電気療法などいくつかの治療法が試みられた[要出典]。 1935年にClaus Jungeblutは、ビタミンCがin vitroでポリオウイルスを不活化し、サルへ注射したときに感染性を失っていることを報告した。1937年、Jungeblutはサルの脳にポリオウイルスを注入し、ビタミンC摂取群は対照群よりも多くの個体が麻痺を免れたことを発見した (結果は高用量よりも低用量の方が効果的であるようだったが)。続く研究でJungeblutは、ポリオに感染したサルは他よりもビタミンCレベルが低く、麻痺を免れたサルはビタミンCレベルが最も高かったことを示した。その後Jungbeltは大規模研究で彼の発見を確証し、天然ビタミンCは合成ビタミンCよりも効果的であり、病気が進行するにつれて、より多くのビタミンCが治療効果を示すために必要となることを発見した。 しかし1939年、アルバート・サビンは「嗅粘膜へ向かってポリオの全量を強制的に排出し、すぐにピペットへ引き戻す、この過程を2、3回繰り返す」という手法ではJungbeltの結果を確認できないこと、「ビタミンC欠乏飼料を与えられたサルは主に肺炎や腸炎などの自然な急性感染症で死亡しており、適切な飼料を与えられた仲間は健康なままである」ことを報告した。これを受けて、Jungbeltは「鼻の入口へ大量のウイルスを流し込むような最重度の感染においては、ビタミンCの投与は病気の進行に対し影響を与えることができないが、点滴のような強制性の低い方法では対照群の動物の症状は多様になり、結果は容易に解釈することができない。しかし、利用可能なデータはビタミンC治療は不稔感染を完全に非麻痺性の感染へと変換させる要因となっている可能性を示唆している」と反論した。1979年、R. J. SaloとD. O. Cliverは亜硫酸水素ナトリウムとビタミンCによって1型ポリオウイルスを実験的に不活化した。 1949年から1953年にかけて、Fred R. Klennerはポリオに対するビタミンC治療の臨床経験を発表したが、大規模な臨床試験は一度も行われていない。 神経の移植や腱の伸張、腱の移植、四肢の延長や短縮といった外科的治療がこの時期には広く行われた。麻痺が残る患者は装具で治療され、キャリパー、松葉杖、車椅子の補助によって喪失した機能を補うよう教えられた。使用者の動きを制限し筋萎縮を引き起こす傾向のある、固い装具や体幹ギプスのような器具の使用も効果的治療として宣伝されていた。マッサージや他動運動もポリオ後遺症の治療に用いられた。これらの治療法の大部分は治療効果のないものであったが、鉄の肺、抗ポリオ抗体血清、エリザベス・ケニー(英語版)によって開発された治療法など、ポリオ治療の効果的支援策もこの時期に出現した。
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