鉄の肺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/10 07:06 UTC 版)
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鉄の肺(てつのはい、英: Iron Lung)は、人工呼吸器の一種である。
概要
患者の首から下を気密タンクに入れ、タンク内を間歇的に陰圧にする。タンク内を陰圧(-7 〜 -15 水柱センチメートル)にすると、患者の胸郭が広げられて吸気がおこる。平圧に戻すと胸郭の弾性によって肺がしぼんで呼気がおこる。これを繰り返す。
1928年、アメリカ合衆国のハーバード公衆衛生大学院のフィリップ・ドリンカーが鉱山でのガス中毒治療のために開発した「ドリンカー人工呼吸器」を、1931年にジョン・ヘイブン・エマーソン、ルイス・A・ショーらが改良を加えポリオによる呼吸不全を治療するために実用化した。
1950年代までは広範に用いられていたが、装置が大がかりで高価なこと、頭部以外の全身をタンクが覆うために患者のケアが難しいこと、陽圧換気による人工呼吸器が普及したことなどもあり、現在ではあまり使われていないが、診療報酬点数表には「J029 鉄の肺」として掲載されており、令和元年は1日につき260点算定できる[1]。鉄の肺をヒントに胸の部分だけを押す陰圧式の人工呼吸器も開発された[2]。
静岡市立静岡病院には1980年代まで使われていた鉄の肺が所蔵されている[2]。
木の肺
アメリカで1930年から50年代にかけてポリオが流行した際、鉄の肺は非常に高価で、当時の金額で2千ドル以上もした。高価で要数が揃わなかったことから、各地のエンジニアや木工職人がボランティアで鉄の肺と同等の装置を製作した。これらはベニヤ板などの木材が多用されていたことから「木の肺(wooden lung)」と呼ばれた[3]。
最初の一号機は1937年8月26日にカナダのトロント小児病院にポリオに感染して入院していた4歳の子供の為にJoseph.H.W.Bower医師が自作した物だと言われている[4]。その後、セイント・ルカ病院の理事だったマックスウエル・ケネディ・レイノルズが主導して五大湖周辺の病院に配られた。
普及
オーストラリアのエドワード・トーマス・ボスが1937年に開発したボス・レスピレーターは合板製の「木の肺」で安価であったため広く使用された。ボスによってオーストラリアで量産が行われ、イギリスではナフィールド卿の援助を受けて彼の会社であるモーリス自動車の工場で量産、各地の病院に提供された。1950年初頭、イギリスではドリンカーのモデルはわずか50台しか存在しなかったのに対し、ボスのモデルは700台以上存在していた [5]。
代表的使用者
- ポール・アレクサンダー - 6歳の時にポリオに感染し、70年以上(1952‐2024)を鉄の肺につながれたまま生存した。2023年、ギネス世界記録に「鉄の肺を使った最長の生存患者」として認定された[6][7]。
脚注
- ^ J029鉄の肺 しろぼんねっと
- ^ a b “ただ、目の前の患者さんのためにできることを | 千原 幸司 先生(静岡市立静岡病院)のストーリー”. メディカルノート. 2025年8月10日閲覧。
- ^ A Home Made Iron Lung for the Hospital for Sick Children - Pandemic Ventilator Project
- ^ 1937年9月13日のTIME誌
- ^ Lawrence, Ghislaine (23 February 2002). “The Smith-Clarke Respirator”. The Lancet 359 (9307): 716. doi:10.1016/s0140-6736(02)07819-4. PMID 11879908.
- ^ “「鉄の肺」に70年超 ギネス記録の男性死去―米:時事ドットコム”. 時事ドットコム (2024年3月14日). 2024年3月16日閲覧。
- ^ “Meet longest surviving iron lung patient kept alive by a machine for 70 years” (英語). ギネス記録 (2024年3月14日). 2024年3月16日閲覧。
外部リンク
- 鉄の肺メモリアルコーナー - 浜松医科大学 麻酔・蘇生学講座
- "Iron Lung." - バージニア大学
- 日本呼吸器学会で「鉄の肺」を展示 (日本呼吸器学会、於東京フォーラム、2017年)
- The Iron Lung - イギリス、サイエンス・ミュージアム
鉄の肺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/19 14:01 UTC 版)
ポリオ患者の治療に最初に利用された鉄の肺は、ハーバード大学のフィリップ・ドリンカー(英語版)、Louis Agassiz Shaw、James Wilsonによって発明されたもので、1928年10月12日にボストン小児病院で試験が行われた。ドリンカーの最初の鉄の肺は、2つの掃除機に接続された電動機によって動力が供給されており、機械の内部の圧力を変化させることで機能した。圧力が低下すると、胸腔が拡張して部分真空状態を埋めようとする。そして、圧力が上昇すると胸腔は収縮する。この拡張と収縮は、通常の呼吸を模したものである。その後、鉄の肺のデザインは機械にベローズを直接接続することで改善され、ジョン・ヘイヴン・エマーソン(英語版)はより安価に生産できるようデザインを変更した。エマーソンの鉄の肺は1970年まで生産された。Bragg-Paul Pulsatorのような他の呼吸補助器や、呼吸困難の程度が低い患者には"rocking bed"も用いられた。 ポリオの流行中、鉄の肺は何千人もの命を救ったが、その機械は大きく扱いにくく非常に高価だった。1930年代の鉄の肺の価格は約1500ドルで、平均的な家の価格とほとんど同じだった。患者は鉄の箱に数ヶ月から数年、そして時には一生入ることとなったため、機械の維持費用も法外に高いものとなった。鉄の肺を用いても、延髄ポリオの患者の死亡率は90%を超えていた。 これらの欠点を克服するために、より現代的な陽圧人工呼吸器が開発され、気管切開による陽圧人工呼吸が利用されるようになった。陽圧人工呼吸器によって、延髄ポリオ患者の致死率は90%から20%まで低下した。1952年のコペンハーゲンでの流行時には延髄ポリオの患者が多数発生したが、人工呼吸器は少数しかなかったため、医学生などの手によるバッグを用いた人工呼吸が多くの患者に対して行われた。
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