木の肺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 19:37 UTC 版)
詳細は「木の肺」を参照 アメリカで1930年から50年代にかけてポリオが流行した際、鉄の肺は非常に高価で、当時の金額で2千ドル以上もした。この価格の半分はフィリップ・ドリンカーとルイス・A・ショーの特許料であり、T型フォードが1台390ドルで買えた時代に、特許料だけで新車2台分以上も取られていた。あまりに高価で要数が揃わなかったことから、各地のエンジニアや木工職人がボランティアで鉄の肺と同等の装置を製作した。これらはベニヤ板などの木材が多用されていたことから「木の肺(wooden lung)」と呼ばれた。 最初の一号機は1937年8月26日にカナダのトロント小児病院にポリオに感染して入院していた4歳の子供の為にJoseph.H.W.Bower医師が自作した物だと言われている。トロント小児病院で作られた木の肺はセイント・ルカ病院の理事だったマックスウエル・ケネディ・レイノルズが主導して五大湖周辺の仲間に呼びかけて1937年9月後半ごろから3週間足らずで五大湖周辺の23箇所の病院に海賊版製品が配られた。 この木の肺の資料はオールレッドラインを使ったテレックスによってオーストラリアのアデレード大学に送られ受け取ったエドワード・トーマス・ボス博士が主導してオーストラリアでも量産が行われ、イギリスではボス博士の弟のドナルド・ボスがナフィールド卿の援助を受けてモーリス自動車の工場で量産された。フィリップ・ドリンカーとルイス・A・ショーは海賊版に対して訴訟を乱発したが使用していたジョン・ヘブン・エマーソン医師との裁判で特許無効の判決が出て特許権が消滅している。この敗訴により鉄の肺を生産していたコリンズ社は主力商品を失い後に倒産した。その後、木の肺は特許が存在しなくなった為に世界中で合法的に量産されるようになり、高価な鉄の肺は木の肺によって置き換えられた。
※この「木の肺」の解説は、「鉄の肺」の解説の一部です。
「木の肺」を含む「鉄の肺」の記事については、「鉄の肺」の概要を参照ください。
- 木の肺のページへのリンク