構成の密度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 17:08 UTC 版)
「ドルジェル伯の舞踏会」の記事における「構成の密度」の解説
まず冒頭で、ヒロインであるドルジェル伯爵夫人・マオの家系や生い立ちが数ページにわたり記述され、次に、この小説ではまったくの副人物にすぎないポール・ロバンの性格や心理が丹念に分析され、中心的人物のドルジェル伯爵やフランソワの紹介が矢継ぎ早に行われる。そして次の段階でだしぬけに1920年2月7日という具体的な日付が示されて、そこから登場人物たちが急速に接近してゆく展開となり、一見ささやかなエピソードと思われた布石が、ことごとく後になって生きてくる構成となっている。話が進むにつれて、ポールの性格もマオの家系も、筋立ての上で重要な意味を帯び、その間にも、時代の変化に対応できたり、できなかったりする上流階級の風俗や人物像が、素早い的確なタッチで活写されていく。 前半では、ヒロイン・マオの心理はほとんど描かれず、彼女はフランソワから見つめられているだけの「焦点を結ばない映像」のような存在であるが、徐々にマオの内面が明らかになり、「心のゆらぎ」が次第に増幅を広げ、ついにフランソワの母に手紙を書いて訴えるまでになってゆく。そしてクライマックスとなる仮面舞踏会の準備のための晩餐会では、必死の振舞いをし、終盤において、〈今までの熱意ある女に代った石像のような女〉に新たに化身する大団円は、古典悲劇のヒロインとしての「巨大なスケールを獲得する」に至る構成となっている。 ラディゲの構成意図は、〈純粋な心が無意識にする掛け引きは,ふしだらな心の策略よりもいっそう理解しにくいものである〉と作中で述べられているように、植民地の島生まれのヒロイン・マオを〈純粋な心〉の女性として際立たせることにあると看取されるが、その出生地の設定は、単にマオの性格形成に関わるだけでなく、作品全体を貫く大きなテーマを象徴的なかたちで提示するものでもあり、マオとフランソワが遠い血縁関係にあり、その島(マルチニック島)が2人を結ぶ象徴の「自然」として捉えられ、ドルジェル伯爵やポールに象徴される都会・パリや、仮面的な社交界の「人工」との対比が暗示され、特にクライマックスの晩餐会の場面においては、その二種の対照性が際立つと松田和之は説明している。 マオとフランソワは、〈緑色したもの〉、戸外で語ること、田舎を愛する者であり、伯爵や周りの上流人たち(仮面舞踏会の人々)とは対照的に描かれ、題名の「舞踏会」の意味は、仮面を常習とし〈自己以外の人間になること〉に熱情をそそぐ人々の「人工的な世界」を象徴し、晩餐会での、ナルモフの緑色のチロル帽をめぐる小事件にそれらの対比が表われると生島遼一も説明し、そのクライマックスでは、「自然な感情」を復活させる恋をしている者(フランソワとマオ)は必然的に孤独を感じ、フランソワは〈自己以外のものには絶対になりたくない〉と心の中でつぶやく展開となり、幕切れの場面で、マオの告白により苦境に立たされるドルジェル伯爵が、〈ここは植民地の島なんかじゃないんだ〉と言うくだりで、それまでの対照図式が明瞭となる。
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