構成の工夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 10:09 UTC 版)
玉葉和歌集は21ある勅撰和歌集の中で最大の、約2800首の和歌を集めている。玉葉集以前の最大の勅撰和歌集は新古今和歌集であったが、1900首あまりであり、玉葉集は800首以上も多い。あまりに多くの歌を集め、肥大化してしまった点は玉葉集最大の欠点とされ、後述する構成上の工夫、沈滞した中世和歌の世界に新風を吹き込んだ京極派和歌の存在、そしてこれまで省みられることがなかった名歌の発掘など、多くの長所が霞んでしまうことに繋がった。これは歌の削除よりも増補に力を入れた撰者京極為兼を、単独の撰者であったがゆえに誰もストップをかけられなかったことに起因していると考えられる。 しかし玉葉和歌集はあまりに多くの和歌を集めすぎ、肥大化してしまった点を除くと、構成的に多くの工夫が見られる。まず全20巻の巻頭、そして巻軸和歌の作者の選択である。特に和歌集の第一巻の巻頭和歌、つまり和歌集最初の和歌の作者として、歌聖と呼ばれながらもこれまで勅撰和歌集の巻頭に選ばれたことがなかった紀貫之の和歌を据えた。一巻の巻軸以降についても、万葉集、古今和歌集以降の三代集、後拾遺和歌集以降千載和歌集まで、新古今和歌集、新勅撰和歌集以降と、各時代から満遍なく実力派の歌人を選び出しており、玉葉集撰集時の当代歌人についても伏見天皇、京極為兼、京極為子、西園寺実兼などやはり実力派を充てており、前後の勅撰集から見てもぬきんでた歌人を選んでいる。 もちろん作者ばかりではなく、実際の撰歌にも工夫が見られる。巻四秋歌上の巻軸歌には、京極派を代表する情景歌の傑作の一つとされる伏見天皇の 宵のまのむら雲づたひ影見えて山の端めぐる秋のいなづま — 玉葉和歌集・秋上・628 を据え、続く巻五秋歌下の巻頭歌には、万葉集を代表する傑作の一つとされる天智天皇の わたつみの豊旗雲に入日さしこよひの月夜すみあかくこそ — 玉葉和歌集・秋下・629 を載せており、玉葉集当代の京極派の傑作と万葉集の傑作とを鮮やかに対比させている。 玉葉集第一巻の巻頭和歌、つまり最初の和歌は紀貫之の作品を撰んだことは先に触れたが、これは 今日にあけて昨日ににぬはみな人の心に春のたちにけらしも — 玉葉和歌集・春上・1 という、大晦日と元日とでは全く違うように見えるのは、皆の心の中に春が立つからであるという内容の、京極為兼が唱える心の絶対的な尊重に合致したものであり、また千載和歌集以降、立春の喜びは霞を詠むことで表現するという約束事を打破したものでもあった。結果として玉葉和歌集最初の和歌に歌聖紀貫之の歌を据えて和歌集に重みを加えるとともに、因習の打破、そして自らが主導する京極派の歌風を高らかに宣言したものとなっている。 その他、春上から始まり冬で終わる四季部、恋一から始まり恋五で終わる恋歌、雑一から始まり雑五で終わる雑歌については、それぞれの最初の歌と最後の歌に関連を持たせていると見られる。これらのことから為兼はまず和歌集全体の枠組みを考え、各部の巻頭、巻軸歌を決めた後に個々の歌の配列を決めていったものと推測されている。
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