鏡と鏡像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 14:35 UTC 版)
鏡像の空間構造と配置は、フェリペ4世とマリアナ妃が鑑賞者の側に立って、王女やその取り巻きの方を向いているように見えるのと同じである。ジャンソンによると、フェリペ4世夫妻のため前景に人々が集まっているだけでなく、画家の意識が国王夫妻に集中しているので、夫妻の肖像画に取り組んでいるところと思われる。鏡像として小さく登場するだけとはいえ、国王夫妻の占める位置はキャンバスの中央であり、これは構成の工夫であると同時に社会階層の反映である。絵の場面に対する目撃者として、我々の位置ははっきりしない。観賞する者のそばに国王夫妻が立っているのか、それとも鑑賞者が国王夫妻の目を通してこの場面を眺めていると考えるべきなのかは、論議されてきたところである。後者の考え方の根拠としては、人物像のうちベラスケス、王女、マリバルボラの3人の視線が、鑑賞者の方に真っ直ぐ向けられていることが挙げられる。 背後の壁に架かった鏡は、そこに存在しないものについても示している。すなわち国王夫妻、そしてハリエット・ストーンの言葉を借りれば「絵の前で、国王夫妻のふりをする見物人」である。1980年に、批評家のスナイダーとコーンは次のように観察している。 ベラスケスは、便利なキャンバス代わりに鏡を使って、肖像を描こうとした。なぜ彼はそんな事を? 鏡の中の明るい像は、国王夫妻そのものを映しているように思えるが、実はそれ以上の効果がある。鏡は実像に勝るのである。鏡像は反映に過ぎない。何を反映しているのか? 真実、すなわちベラスケスの芸術を反映しているのである。神に定められた君主の面前で・・・ベラスケスは自分の芸術的技巧に歓喜し、フェリペ王とマリアナ王妃に、自分たちの肖像が鏡に映っているのを捜すよりも、熟練の画家の鋭い洞察力に注目すべきだと助言した。ベラスケスの前では、鏡像は真実の模倣に過ぎない。 『ラス・メニーナス』の場合、国王夫妻がいるのはおそらく絵の「外側」のことだが、背後の壁に架かった鏡の中の像により、夫妻も絵の「内側」へ取り込まれている。 『ラス・メニーナス』は、1434年ヤン・ファン・エイク作『アルノルフィーニ夫妻の肖像』の影響を受けているようである。当時、ファン・エイクの絵がフェリペ王の宮殿にかけられており、ベラスケスにもなじみがあった。『アルノルフィーニ夫妻の肖像』でもまた、絵画世界の後方に置かれた鏡に2人の人物像が映っており、ベラスケスの場合と同じようなアングルの光景が描かれている。人物像が小さすぎて確認しづらいが、そのうちの1人は画家本人ではないかと思われ、絵の世界には描かれていないのである。ルシアン・ダレンバッハは次のように述べている。 『ラス・メニーナス』の鏡は、ファン・エイクの場合と同じく、絵の鑑賞者と向かい合っている。しかしその手法はより現実的で、国王夫妻が映った鏡の様子は凸面ではなく平面である。初期フランドル派のエイクの鏡像が、鏡の曲面により集約・変形された空間の中で姿や特徴を再構成しているのに対し、ベラスケスの場合、遠近法の原則を軽くあしらうことを嫌って、絵の前方に立つ国王夫妻の像をゆがみなくキャンバスに描いた。さらに画家は、自分が観察している人物を描くと共に、画家を観察している人物を鏡を介して描いて、相互に見つめあう関係を打ち立て、内部と外部の区切りをあいまいにした。これにより「額から現れる」感じを生むと同時に、絵を観る者が絵の世界に入り込んだかのような錯覚を感じさせることに成功している。 ジョナサン・ミラーは次のように語っている。「我々は、国王夫妻の霞んだ姿をどう解釈すべきなのか? 鏡の持つ視覚的欠点と関係することはありえない。実際の鏡は、国王と王妃のくっきりした像を示していたのだろう。」「描かれた鏡に加え、彼は描かれていない鏡をも暗示している。今日私たちが目にするような絵を描くには、もう1枚の鏡が必要だったはずだからである。」
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