核爆発における合成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 09:06 UTC 版)
「アインスタイニウム」の記事における「核爆発における合成」の解説
10メガトンのアイビー・マイク核実験のデブリの分析は、長期プロジェクトの一環であった。この目的の1つは高出力核爆発における超ウラン元素の生産効率の研究であった。これらの実験の動機はウランから超ウラン元素を合成するためには中性子を何度も捕獲する必要があるということであった。このような事象が発生する確率は中性子束とともに高くなるが、核爆発は最も強力な人工中性子源であり、マイクロ秒以内に1023中性子/cm2オーダーの密度、すなわち約1029中性子/(cm2·s)を供給する。これに比べ、HFIR原子炉の中性子束は5×1015 中性子/(cm2·s)である。デブリの試料が米国本土に届くまでにいくつかの同位体が崩壊する可能性があるため、予備分析のための専用の実験室がエニウェトク環礁に設置された。実験室は、実験後に環礁の上空を飛行する紙フィルターを備えた飛行機から分析用の試料をできるだけ早く受け取っていた。フェルミウムより重い新たな化学元素を発見することが望まれていたが、1954年から1956年の間に環礁で一連のメガトン爆発が行われた後にもこれらが発見されることはなかった。 閉ざされた空間で起こる強力な爆発により収量が向上し同位体が重くなることが期待されていたため、大気での結果は1960年代にネバダ核実験場で蓄積された地下での実験データにより補われた。従来のウランチャージとは別に、ウランとアメリシウムおよびトリウムの組み合わせ、およびプルトニウムとネプツニウムの混合チャージが試みられたが収量の点ではあまりうまくいかず、これは重元素チャージの核分裂率が上がったことで重同位体の損失が大きくなったのが原因であった。爆発が周囲の岩を300-600メートルの深さで溶かして蒸発させてデブリを撒き広げているため、生成物の分離には問題があった。生成物を抽出するためにそのような深さまで掘削することは収集する量という点で遅く非効率な方法であった。 1962年から1969年まで行われた9回の地下実験のうち、最後の実験は最も強力であり、超ウラン元素の収量が最も高かった。高出力の原子炉で通常1年間照射して作られるミリグラムのアインスタイニウムが、マイクロ秒以内に生成された。しかし、全体の提案の主な現実的問題は強力な爆風により分散した放射性のデブリを集めることであった。航空機のフィルターは全量の約4×10−14しか吸着せず、エニウェトク環礁のサンゴ数トン集めることでこの割合を2桁のみ上げることができた。Hutch爆発から60日後に約500kgの地下岩を抽出しても総チャージの約1×10−7しか取り戻せなかった。この500kgのバッチ中の超ウラン元素の量は実験の7日後に採取した0.4kgの岩に含まれていたもののたった30倍であり、回収した放射性岩石の量に対する超ウラン元素の収量の非常に非線形な依存性が示された。爆発後の試料回収を早くするために実験前にその場所でシャフトを掘削した。これにより爆発により震源からシャフトを介して放射性物質が放出され、表面近くで多くの物質が回収された。この方法は2つの実験で試され、すぐに数百キログラムの材料が提供されたが、アクチノイド濃度は掘削後に得られた試料の3分の1であった。このような方法は短命の同位体の科学的研究では効率的であったかもしれないが、生成されたアクチノイドの全体的な収集効率を改善することはできなかった。 核実験のデブリからは新たな元素(アインスタイニウムとフェルミウムを除く)を検出できず、超ウラン元素の総収量は残念なほど低かったが、これらの実験ではそれより前に実験室で得ることができたものよりもはるかに大量の希少な重同位体が得られた。
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核爆発における合成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 01:26 UTC 版)
10メガトン級のアイビー・マイクの塵の分析は、長期のプロジェクトの一環として行われ、その目的の一つは高エネルギーの核爆発における超ウラン元素の生成の効率に関する研究であった。核爆発は最も強力な中性子源であり、ミリ秒の間にcm2当たり1023個の中性子密度を作る。これと比較して、高中性子束同位体生産炉での中性子密度は、ミリ秒の間にcm2当たり1012個である。いくつかの同位体は、米国本国に運ぶまでの間に崩壊してしまうため、研究所はエニウェトク環礁で塵の予備分析を行った。研究所は、実験後できるだけ早く、ろ紙を備えた飛行機で環礁の周りを飛び、サンプルを回収した。この分析で、フェルミウムよりも重い元素が発見されることが期待されたが、1954年から1956年にこの環礁で行われた何度かのメガトン級の核爆発後の分析でも発見されなかった。
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