核燃料技術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 14:50 UTC 版)
「東京電力の原子力発電」の記事における「核燃料技術」の解説
福島第一原子力発電所1号機の運転開始当初、使用された燃料はGE社ウィルミントン工場で製造されたものだったが、100%出力となってから数ヵ月で復水器の抽気ガス(オフガス)が発生してきた。これは、燃料棒内の水分が放射線分解して水素を発生し、被覆管のジルコニウムと結合して脆化することが原因であり、国産燃料を製造に当たったJNF社製の燃料が導入された際には製造時に湿分管理を行って対策とし、このような事象は激減した。 JNF社製の燃料が当初から装荷されるようになったのは2号機からである。JNF社は久里浜に工場を稼働させていたが、当初は成型加工組立だけを実施していた。1973年からはイエローケーキと呼ばれるU3O8から六ふっ化ウランUF6への転換工程も実施した。 1号機が最初の定期検査に入った際には破損燃料をいかに減らすかが課題となった。破損燃料が減少すれば炉内への放射能濃度も下げることが出来、検査時間の短縮にも繋がるからである。この時に対策したのは燃料ペレットとジルコニウム製被覆管で発生する相互作用(PCI)である。ペレットが核分裂により加熱されるとペレット中心部の温度がペレット外周部分より高温となるため、鼓型に膨らみ、それが被覆管に接触すると応力をかけ、環境中にヨウ素などが存在している場合は応力腐食割れに至る。この対策として(1)材料、(2)環境、(3)応力の3条件から応力腐食割れが発生することから、3点を改善する対策が取られた。(2)については被覆管の内側にジルコニウムを内張りしたジルコニウムライナー燃料が開発された。(3)については設計時にはPCIOMRと呼ばれる出力制御法を考えていたが、実際には操作過程が複雑となり利用率が低下する問題があった。そのため、燃料棒の方を改善することで対応することとし、GEの設計を修正、工程上1,2,3,5号機では間に合わなかったため4号機より適応し、1980年12月の第2回燃料取替え時に140本装荷した。具体的には泡が多く中性子減速が弱くなる炉心上部の燃料は濃縮度を高くした。これにより操作法をある程度単純化することが出来、燃焼サイクルを重ねるごとに利用率も向上し、第4サイクル時には当初より5.7%の向上をみた。 なお、2号機の初装荷燃料ではガドリニア(Gd2O3)と呼ばれる燃焼初期の反応度を抑制する物質を多く入れすぎたため、起動試験時には制御棒をすべて抜いても定格出力に到達しないという問題が東電に訪れたGEの炉心設計の責任者より報告された。このため、PCI対策の際にはガドリニアの濃度にも注意が払われ、ウランが燃焼して反応度が落ちる分だけガドリニアの吸収度も落ちていくような設計とする必要があった。燃焼が進むと炉心上部には泡の影響でプルトニウムが蓄積することが知られていたため、GEの設計を改めた際にはガドリニアも燃料棒の炉心上下方向の位置で濃度差を設けている。 その後も燃料の改良は続けられ、それまでの燃料棒を7×7に配列したタイプから1977年には日立製作所が8×8型を開発、順次取り換えられていった。その後8×8型は1983年に新8×8型、1988年より8×8型の配置のステップI燃料の納入を開始した。1992年には8×8型のステップII燃料を納入開始し、福島第一原子力発電所4号機を例にとると、1994年末の定期検査時にステップI型から交換されている。このように順次燃料を新型に更新していくことで取替燃料体数の削減が図られ、1990年代に開発を開始したステップIII燃料では取り出し燃焼度を向上し、燃料サイクル費の削減が図られている。 一方、MOX燃料を使用したプルサーマルについても開発が進められ、2002年10月の3号機定期検査終了時に装荷するかどうかなどがすでに政治日程としての意味合いも含めて議論されていた。しかし、当時の県知事佐藤英佐久が東京電力原発トラブル隠し事件などを通じて原子力行政に不信感を抱いていたこと、税収の落ち込みを埋め合わせるため核燃料税の税率引き上げを実施したことなどから県と東電、国との関係が冷却化した。実際の装荷は2010年まで遅れることとなった。
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