東邦丸・二代とは? わかりやすく解説

東邦丸・二代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/11 09:12 UTC 版)

東邦丸」の記事における「東邦丸・二代」の解説

太平洋戦争に入ると戦時標準船制定された。飯野海運例外ではなかったが、飯野海運所有した戦時標準船25隻はタンカー運航会社としての実績考慮されたのか、全てタンカーであったこのうち大型TL型1TL型2TL型合わせて9隻が割り当てられた。そのうちの6隻は上記の「東邦丸」にあやかって全て「邦」の字が入った船名付けられ、残る3隻は、戦前所有していた大型タンカーのうち、その時点で喪失していたタンカーの名前が付けられた。二代の「東邦丸」はその1隻であり、他は「東亜丸」(1TL型)と「富士山丸」(2TL型)である。二代の「東邦丸」は三菱重工業長崎造船所建造され1944年昭和19年5月15日竣工した建造日数122日で、内訳起工から進水までの日数87日、艤装工事日数35日である。 竣工後、ただちに南方からの石油輸送投入される。わずか2週間後の5月29日には、門司出航ヒ65船団加入して昭南向かったヒ65船団6月2日火焼島近海アメリカ潜水艦ギターロ」 (USS Guitarro, SS-363) の攻撃により海防艦淡路」が沈没し陸軍輸送船有馬山丸」(三井船舶、8,697トン)と陸軍特殊船「神州丸」回避行動中に衝突するという被害受けたが、「東邦丸」は被害なく6月11日昭南到着した帰途ヒ68船団加入ヒ68船団7月20日マニラ寄港して加入船の顔ぶれ一部改めた上で7月23日出港。11.5ノット速力北上したが、7月25日至ってアメリカ潜水艦アングラー」 (USS Angler, SS-240) 、「フラッシャー」 (USS Flasher, SS-249) および「クレヴァル」 (USS Crevalle, SS-291) からなるウルフパック攻撃を受ける。この攻撃陸軍輸送船安芸丸」(日本郵船11,409トン)および「東山丸」(大阪商船、8,666トン)、2TM型タンカー大鳥山丸」(三井船舶、5,280トン)が沈没して特設運送艦聖川丸」(川崎汽船、6,862トン)が損傷するという被害見舞われたが、この航海でも「東邦丸」は無事で8月3日門司到着した以後、ヒ73船団南下し10月2日昭南出港のヒ76船団には馬公まで加入したその後は再び昭南向かい11月27日昭南出港シサ30船団加入して11月30日サイゴン港外に到着している。 戦況日に日に厳しくなり、1945年昭和20年1月に入るとアメリカ第38任務部隊ジョン・S・マケイン・シニア中将)が南シナ海侵入しヒ86船団初めとする輸送船団サイゴンなどのインドシナ半島各地港湾、および香港などに在泊の商船などを片っ端から攻撃して南方からの還送ルート根絶やしにしつつあった。そこで1月20日付で「南号作戦」が発令され特攻的な強行輸送を行うこととなった。「東邦丸」も南号作戦従事するため、1月29日門司出航のヒ93船団昭南向かった中国大陸沿いを南下し2月6日夜にバンフォン湾(英語版)に仮泊して翌2月7日朝に航行再開昭南へと急いだが、北緯11度53東経10922分 / 北緯11.883度 東経109.367度 / 11.883; 109.367のカムラン湾口に差し掛かった10時50分頃、アメリカ潜水艦バーゴール」 (USS Bergall, SS-320) の攻撃受けた。「バーゴール」は船団右側方から攻撃し発射した魚雷のうち2本が「東邦丸」の左舷船首船倉命中。「東邦丸」は沈没免れた大破した他の魚のうち1本は第53海防艦艦底通過したところで爆発し、その衝撃で第53海防艦タンク破壊され炎上し艦体は切断沈没した。ヒ93船団カムラン湾逃げ込み事態が収まるのを待って出航2月9日、ヒ93船団サンジャック到着。ここで、「東邦丸」と入港直前触雷した第61号海防艦サンジャック残留となったサンジャック残された「東邦丸」は応急修理の末、自力昭南到着して大修理行った修理後細々残ったインドシナ半島への輸送従事するその内情は、昭南からは重油インドシナ方面へ、インドシナ方面からは米を昭南輸送するというものだった。「東邦丸」は駆逐艦神風」と第四号掃海艇護衛インドシナ半島南西部のハッチェン(英語版)に向かうこととなった6月15日船団北緯0925東経9954分 / 北緯9.417度 東経99.900度 / 9.417; 99.900のサムイ島近海燃料補給中、アメリカ10空軍のB-24 の波状攻撃受けた。この攻撃で「東邦丸」は油槽命中弾を受けて火災起こした燃料搭載していたため消火作業ままならず17時になって総員退船が令され放棄され、「東邦丸」は炎上しながら沈没。「神風」は「東邦丸」の生存者救助して昭南帰投した。竣工396日目での沈没だったが、これは2TL型の中で戦後残存船を除くと最も長命な記録であった

※この「東邦丸・二代」の解説は、「東邦丸」の解説の一部です。
「東邦丸・二代」を含む「東邦丸」の記事については、「東邦丸」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「東邦丸・二代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東邦丸・二代」の関連用語

東邦丸・二代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東邦丸・二代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの東邦丸 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS