書き続ける作家・那須正幹
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「那須正幹」の記事における「書き続ける作家・那須正幹」の解説
発売して間もない時期から子どもたちに好評だった『ズッコケ三人組シリーズ』だが、売れれば売れるほど当時の児童文学を取り巻く大人たちからは批判に晒された[要出典]。1985年には関西テレビが金曜夜7時に持っていた阪急ドラマシリーズ枠でドラマ化される(なおこのシリーズは基本的に関西・関東・山口県だけで放送されたが、後に他のテレビ局でも放映された。)。大人たちの間でも「子どもの活字離れの中で、物語の面白さを教えてくれる」「オカルトに対する批判など教育的な配慮が成されている」と好意的な意見[要出典]があった一方で、『ズッコケ三人組シリーズ』は賞とまったく無縁であったばかりか、一部には悪書としての評価[要出典]もあった。 そうした中でも、2004年12月にシリーズ第50巻『ズッコケ三人組の卒業式』で『ズッコケ三人組シリーズ』を完結させるまでの26年間、同シリーズを絶えず世に送り出し続けた。 一時はあまりに賞に無縁な自らの作家人生を「無冠の帝王」と自称した[要出典]那須だが、1994年に『さぎ師たちの空』で路傍の石文学賞を受賞。これを契機に、那須作品が次第にいくつかの賞に輝き始め、『ズッコケ三人組シリーズ』がNHK教育テレビ『ドラマ・愛の詩』(1999年)で放映されると、『ズッコケ三人組シリーズ』が第23回巖谷小波文芸賞を受賞。さらに第40作『ズッコケ三人組のバック・トゥ・ザ・フューチャー』では野間児童文芸賞を受賞、那須作品の遅すぎた受賞を埋め合わせるかのように受賞が相次いだ。こうして那須は無冠の帝王を返上する時期を迎えたが、那須はこの受賞に際し「やはり作家はしつこく書き続けなければいけません。ずっと書き続けたからこそ、今日があるのです」とコメントしている[要出典]。 その後、『ズッコケ三人組シリーズ』は2004年にテレビ東京系でアニメにもなり、同年12月にはシリーズ化当初からの約束でもあった50巻を迎え、ズッコケ三人組の小学校卒業と宅和先生の教員退職をもって同シリーズは完結した。2004年11月現在の累計発行部数は 2100 万部(文庫本を含む)で、これは国内の児童文学シリーズとしては史上最大のミリオンセラーとなっている。 その翌2005年12月、1作限りの続編として、不惑の年齢・40歳を迎えた三人組を描くズッコケ中年三人組を発表。そのあとがきで「10年後には50歳になった三人組が登場する『ズッコケ熟年三人組』を書きたいものだ」といったところ、ファンからは「10年も待てない」という声が殺到。また、シリーズ化当初からの付き合いだった編集者坂井宏先も「10年後、那須さんは生きているかどうか分からないから、毎年1作ずつ書いたら」と軽口をたたきながら強く勧め、三人組が50歳になるまでの間、毎年1歳ずつ歳をとっていく設定で、ズッコケ中年三人組がシリーズ化するはこびとなった。そして2015年で完結した。 那須にとっての『ズッコケ三人組シリーズ』は完全なライフワークになっている。これと併行して2005年5月からは『衣世梨の魔法帳』シリーズをポプラ社から刊行し、2008年10月までに5作が既刊となっている。 他にも、1995年発表の『絵で読む広島の原爆』など、社会的テーマを持つ作品もある。原水爆禁止日本協議会主催の「原水爆禁止世界大会」での講演も行なっている。 1981年に川村たかしら児童文学者ともに児童文学創作集団「亜空間」を結成し、同タイトルである「亜空間」を季刊誌として創刊した。 執筆活動の傍ら、山口女子大学(現 山口県立大学)では、児童文学を教えていたこともある。 2007年日本児童文学者協会第15代会長に就任。地方を拠点にする作家の会長就任は初めてとなる。同協会が一般社団法人となった翌月、2012年5月に退いた。 憲法問題については「私自身、9条がなければ、ベトナム戦争などに出兵していたかもしれない。9条に守られてきたとの思いがあり、今度は9条に恩返しをしたい」「軍隊とは武装した公務員です。その銃口は、外国だけでなく、自国民に向けられることもあります。改憲派はその恐ろしさを知らないんじゃないんですか」と語り、護憲の立場をとる。防府九条の会の結成に参加し、同会の代表世話人を務めている。また、1997年には防府市長と土木業者の癒着事件を究明する「確約書問題の真相解明を求める会」を設立し、代表世話人として住民訴訟を提起して、1998年に当時の防府市長吉井惇一を引責辞任に追い込んだこともある。 私生活では二度の結婚を経験しているが、芥川賞作家の高樹のぶ子は二度目の妻の又従姉にあたる。 現在の妻との間に二男、二女、計四人の子供がいる。 2021年7月16日、山口県防府市の自宅で倒れ、病院に救急搬送されたが肺気腫のため、同月22日に死去した。79歳没。
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