更新修繕
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1956年から1961年にかけて、1949・50年度製車の全車と1951年度製車のうち、関西地区配属であったモハ80087・088、クハ86057・058、サハ87041~043に施工された。桜木町事故を教訓とした絶縁強化工事と劣化した部品の交換が主な施工内容であるが、以下では主に外観上の変化について記述する。 86形全車に施工された工事 正面窓枠のHゴム支持化 前照灯の250 W化 タイフォンを300番台同様の正面中央下部に移設 一部の車に施工された工事 屋上通風器を300番台と同形状の物に交換 客用扉の交換 運行灯窓のHゴム支持化 戸袋窓のHゴム支持化(モハ80027以外の全車) 屋根布を雨樋直上から張り、張り上げ屋根を廃止(モハ80027以外の全車) 正面窓下に開閉式通風孔を設置 この結果、前述の通りクハ86059・86060の2両のみが1960年代以降も正面窓枠が木製のまま残存した。
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更新修繕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 06:54 UTC 版)
戦中戦後の酷使によって疲弊荒廃した電車を戦前の水準にまで戻すため、本系列に対しても1950年(昭和25年)から更新修繕が行なわれた。これにより、戦時中に撤去された座席の復元や、シートモケットの整備、扉の鋼板プレス製への交換が行なわれた。修繕はモハ31形、クハ38形に対しては1950年から翌年にかけて大井工場で、サハ39形に対しては1950年度に大宮工場で施工された。 さらに1954年(昭和29年)からは、桜木町事故の教訓を活かす形で、更新修繕IIが実施され、屋根上通風器のグローブ形への交換、車端部貫通路の引戸化と貫通幌整備、絶縁の強化などが行なわれた。運転台付きの車両では、初期の更新車を除いて雨樋の曲線化と幕板への運行番号表示窓設置が行なわれ、スタイルは一変した。
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更新修繕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 04:06 UTC 版)
1950年度製造のモハ70形、クハ76形、サロ46形の計63両に対して、1959年から1960年にかけて以下の内容で更新修繕を施工した。 3形式共に施工 屋根および床板を鋼板とし、屋根には絶縁ビニールを貼付、床は床材貼りとする。 戸袋窓をHゴム化(ごく一部未施工箇所もある)。 モハ70形(70005 - 70010・70101 - 70117) 配電盤の大型化とこれによる2位側妻面窓の埋込み、1位側妻面窓のHゴム化。 将来の放送設備設置に備えて、東京地区向けのモハ70005 - 70010にも7芯のKE50Aジャンパ連結器を設置。 クハ76形(76001 - 76004・76006 - 76030) 運転台窓のHゴム化と運転台窓下部への通風器取付(クハ76351と同じもの)。 前面下部にタイフォンを2箇所取付。 運転台扉と客室扉の間に室内環境改善のために小窓(300番台の幅420 mmに対して更新修繕車は幅360 mm)を取付。 トイレを長さ1750 mm×幅820 mmから1265 mm×790 mmに縮小して、この部分の窓配置を変更するとともに、トイレ対面座席をクロスシート化。 上記改造により窓配置が1dD6D6D2から1d1D6D6D2(トイレのない側)、1d1D6D6D11(トイレ側)となる。 サロ46→75形(46004 - 46005・46008・75000 - 75002・75005 - 75009) 将来の放送設備設置に備えて7芯のKE50Aジャンパ連結器を設置。
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