更なる抗議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 05:15 UTC 版)
「2014年ウクライナでの親ロシア派騒乱」の記事における「更なる抗議」の解説
4月30日までにハルキウは比較的平穏を取り戻し、そこでの集会はOSCE監視団からは確認されなかった。 5月4日、自由広場で約400人の分離主義者による軽微なデモが行われ、増援した警察がその広場と周辺に残った。同日、オデッサでの事件をきっかけに衝突の可能性が懸念されたため、統一国家の親ウクライナ団体によって計画されていた集会は中止された。 5月26日、ハルキウ市内にあるロシアとポーランドの領事館前で、ロシアとソ連の旗を持つ「ウクライナ統一反対派」によるデモが行われた。このデモ参加者達は嘆願書を募ってハルキウから1,500人が署名したと語り、この嘆願書が5月25日のウクライナ大統領選挙の結果を認めないようEUとロシアに要請した。彼らはまた、ドネツィク州におけるウクライナ政府の軍事作戦にも反対の声を上げた。 5月26日に実施したのと似たデモが6月はずっと続いた。6月22日に行われたあるデモでは、独ソ戦73周年のデモ(800-900人)と親ロシア派のデモ(約1000人)の両集会が口喧嘩に発展。前者の親ウクライナ派デモを護衛していた警察官が群衆を追いやるなど、結果として両グループの活動家30人が一時拘束された。内務省ハルキウ州支部長は、双方の活動家が「状況の不安定化」を試みていたが、この警察介入は「殺傷沙汰を防いだ」と言及した。彼はまた、3月以降に約200人の警官が「法律違反」を理由に解雇されており、その多くが「分離主義の見解」を持っていたと述べた。また、ハルキウ州知事イーゴリ・バルタは4月6日以降ハルキウで314人の「活発な分離主義者」が逮捕されたと自身のフェイスブックに書いた。7月22日、ウクライナ統一活動家による約300人の抗議行動が行われた。彼らはEUやNATOやウクライナの旗を掲げて州庁舎の外に集まり、ドンバス地域での戦争がハルキウ州に広がるのを防ぎたいと訴えたほか、市内での分離主義者や共産主義者の集会禁止を要求した。7月29日、州内で要衝の橋を破壊しようとする工作が行われ、橋は被害を受けずに済んだが、ハルキウ州庁舎は州内で他の「テロ攻撃」実行計画があると述べた。 ハルキウ市長は8月6日の市議会で2人のロシア市民に名誉市民権 (Freedom of the City) を授与したが、市内にいる一部の人々約100人がこれを問題視して市庁舎の外で抗議した。警察は庁舎内に不法侵入しようとした抗議者達を拘束したが、交渉の末5人が嘆願表明のため庁舎に入ることを許可された。数日間ハルキウは平穏だったが、8月10日に約150人が市庁舎の外に集まってドンバス地域における政府の軍事作戦集結を要求したほか、約300人が政府の軍事反対への支持を表明して市政の解散および市長の解任を求める抗議行動が行われた。8月17日、ウクライナの汚職に抗議するため約100人のアンチマイダン系デモ隊が自由広場に集まると、同じ広場に250人の親ユーロマイダン系デモ参加者がオリガルヒ支持を表明する同時抗議を行った。ハルキウ裁判所は、事前計画されていた8月23日のウクライナ共産党と「南東部」組織の共同集会を禁止する決定を出した(同裁判所により「南東部」自体が「ウクライナの主権とその国民の安全に対する脅威」とみなされて8月20日に禁止された)。8月23日、国旗の日およびスターリン主義とナチズムの犠牲者追悼記念日を祝して約500人が行進し、彼らの要求の一つが市政の解散だった。8月28日、ウクライナ統一活動家の平和的な集会がハルキウのロシア領事館の外で行われ、約400人がデモに参加した。参加者達はドンバス戦争へのロシア介入を懸念していると語り、スタングレネードが領事館に投げ込まれた後、このデモは警察によって追い払われた。 ウクライナ統一国家支持者の最も大きな集会の一つが、9月28日にハルキウで行われた。群衆2000人が集まったこのデモは、準軍事組織のアゾフ大隊が主導した。群衆は自由広場へと行進し、広場のレーニン像(年初に親ロシア派抗議者の集会所だった)に達する頃には5000人になっていた)。この像は、州知事が像の解体命令に署名した直後の22時40分にデモ隊によって引き下ろされた。10月下旬、知事は市民の大半が像の撤去を望んでいないと考えていたことを認めたが「その後も抗議は殆ど無かった」と述べた。 11月上旬から12月中旬にかけて、ハルキウは7回の爆弾攻撃に見舞われたが死者は出なかった。これら攻撃の標的は、ウクライナ軍のために資金を集めることで知られているロックパブ、ウクライナ軍のための病院、軍の募集センター、州兵基地などだった。SBUの調査員によると、攻撃の背景にロシアの工作部隊がいて、平穏なハルキウ市を不安定化する意図だったという。
※この「更なる抗議」の解説は、「2014年ウクライナでの親ロシア派騒乱」の解説の一部です。
「更なる抗議」を含む「2014年ウクライナでの親ロシア派騒乱」の記事については、「2014年ウクライナでの親ロシア派騒乱」の概要を参照ください。
- 更なる抗議のページへのリンク