更なる抗争の激化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/07 21:38 UTC 版)
「ノースサイド・ギャング」の記事における「更なる抗争の激化」の解説
トーリオを引退させ、ジェンナ兄弟を壊滅に追い込んだノースサイド・ギャングは得意の絶頂だった。ビジネスをさらに拡大させ、追い打ちを掛けるようにカポネに攻撃を仕掛ける。カポネが定宿にしているシセロのホテルにモラン自ら車を率いて乗り付け、ロビーで酒を飲んでいたカポネとボディーガード目がけてトンプソン・サブマシンガンの銃撃を浴びせ、ホテルの1階を粉々に破壊した。恐れをなしたカポネは一時的に停戦を申し入れ、一時の平穏が訪れたが、1926年10月10日にワイスがサウスサイド・ギャングに殺害され、モランとドルッチがノースサイド・ギャングの跡目を継いだ。平和会談が開かれるまで報復合戦が数ヶ月も続いた。 モランとカポネは他の組織のボスを多数招待して平和会談を開催した。カポネは抗争の無意味さを説き、お互い利益を分け合うことを提案した。モランとカポネは和解し、シカゴに平和が訪れた。ドルッチは1927年4月4日に警察とのケンカがもとで死亡し、モランが跡目を継いだ。 しかし平和は長くは続かなかった。モランはカポネ組が輸送するビールを何度も強奪し、カポネをいらだたせた。報復にカポネはモランのドッグレース場に放火し、モランもカポネのドッグレース場に放火した。
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