昭和20~30年代
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終戦直後には、3代目三遊亭歌笑が文芸風のパロディを基本に戦後の風景をスケッチした「純情詩集」を発表して戦後の新作落語のスタートを切った。また4代目鈴々舎馬風が「蔵前駕籠」をアレンジした「蔵前トラック」なる怪作を作っている。 戦後期の落語ブームでは、5代目古今亭志ん生、6代目三遊亭圓生のような古典至上主義といった風潮や、久保田万太郎・安藤鶴夫師弟による徹底的に新作落語を否定し、新作落語中心の落語家を過激に攻撃する落語評論が席巻し、ホール落語で古典がもっぱら口演されることとなり、新作落語は押される。 こういう状況の中でも、落語芸術協会では、古典落語も出来たときは新作だという持論を持ち新作落語の闘将と呼ばれた5代目古今亭今輔「青空おばあさん」「ラーメン屋」「印鑑証明」「バスガール」(多くが柳家金語楼=有崎勉、作)や、その後継者の4代目桂米丸「宝石病」「電車風景」、3代目三遊亭圓右「銀婚式」「日蓮記」「寿限無その後」の他、5代目春風亭柳昇「結婚式風景」「日照権」「与太郎戦記」、4代目柳亭痴楽「痴楽綴り方教室」「幽霊タクシー」等が演じられた。 落語協会では、初代林家三平「源氏物語」(未完)や2代目三遊亭歌奴「中沢家の人々」「授業中」「浪曲社長」、5代目柳家つばめ「佐藤栄作の正体」・「笑いの研究」のような俊英が新作派としての保塁を守った。一方では9代目桂文治「大蔵次官」(作者は10代目桂文治の父親である初代柳家蝠丸)、5代目柳家小さん「真二つ」(作者は男はつらいよで有名な山田洋次)、6代目圓生「心の灯火」「水神」、8代目林家正蔵「笠と赤い風車」「ステテコ誕生」「年枝の怪談」、3代目桂三木助「ねずみ」など、本格的古典落語の師匠連にも優れた新作落語の演目があった。 そんな中1962年米丸・圓右・柳昇・三平・歌奴に三遊亭小金馬を加えた6名が新作のネタおろしを目的とする「創作落語会」を結成し翌1963年には芸術祭奨励賞を受賞している。
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昭和20・30年代
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「大牟田市の町・字」の記事における「昭和20・30年代」の解説
1952年(昭和27年) 天満町1・2丁目、長船町1・2丁目及び周辺町丁の一部を再編し、南船津町1~4丁目を設置(天満町1・2丁目、長船町1・2丁目を廃止)。 1953年(昭和28年) 初島が大牟田市に編入される。 1955年(昭和30年) 旧駛馬町・玉川村域において、以下の町丁を設置。括弧内は旧大字(大字藤田・西米生・東米生・川尻を廃止)。 青葉町(西米生) 飯田町(東米生) 一部町(西米生) 臼井新町1・2丁目(東米生) 臼井町(東米生) 沖田町(西米生) 神田町(西米生・東米生・藤田) 合成町(西米生) 新勝立町1~6丁目(勝立・西米生・東米生) 末広町(西米生) 下池町(東米生・勝立) 笹原町1~3丁目(東米生) 桜町(藤田) 天道町(西米生) 野添町(東米生) 馬場町(西米生・川尻) 早鐘町(西米生) 駛馬町(西米生) 萩尾町1・2丁目(東米生) 東萩尾町(東米生) 藤田町(藤田) 馬込町1・2丁目(西米生・東米生) 馬渡町(西米生・東米生) 宮原町(西米生) 米生町1・2丁目(西米生・東米生) 1960年(昭和35年) 浜田町地先の埋立地に、西新町を設置。
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