昭和19年前半とは? わかりやすく解説

昭和19年前半

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 16:06 UTC 版)

時雨 (白露型駆逐艦)」の記事における「昭和19年前半」の解説

1944年昭和19年1月3日時雨春雨給糧艦伊良湖護衛して横須賀からトラック泊地向かった19日油送任務のため春雨と共にタンカー富士山丸神国丸を護衛してボルネオ島パリクパパンに向かい途中で潜水艦撃沈確実と報告した帰路天城丸を加えたタンカー3隻を護衛し2月13日に米潜水艦パーミット爆雷攻撃し撤収させた。14日トラック泊地戻った詳細は「トラック島空襲」を参照 2月17日トラック泊地空母9隻などを擁する米第50任務部隊大規模な襲撃受けた時雨春雨警報受けて早朝に緊急出港し外洋出た米軍機45機が襲来魚雷発射管主砲機関損傷し66名が死傷した24日パラオ避退し、妙高横付けして応急修理受けた3月中旬佐世保帰投4月12日まで修理した詳細は「渾作戦」を参照 5月佐伯港から南方出発ビアク島輸送作戦(渾作戦)に参加した時雨ソロン陸戦隊207人を乗せ敷波浦波と共に輸送隊となり、護衛する白露春雨五月雨と共に6月8日未明出発。昼にB-25爆撃機P-38戦闘機攻撃を受け春雨沈没して白濱司令が戦死時雨は1名が負傷しB-25撃墜4機と報告した同日夜に単縦陣最後尾航行中に米重巡1、軽巡2、駆逐艦14遭遇時雨砲撃応戦魚雷8本を発射砲撃巡洋艦1隻に命中させたと報告したが、米艦隊損害はなかった。一番砲塔2番機銃座船体被弾し戦死者7名、重軽傷15出した船体貫通した6インチ砲弾不発だった。10日にサワラナ島に到着し陸兵敷波移し重巡青葉軽巡鬼怒と共に11日ハルマヘラ島バチアン泊地移動応急修理した後に白露と共に12日ダバオ入港した

※この「昭和19年前半」の解説は、「時雨 (白露型駆逐艦)」の解説の一部です。
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