日本外務省による反論
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「日本統治時代の朝鮮人徴用」の記事における「日本外務省による反論」の解説
このような「現在日本に居住している朝鮮人の大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものであるという主張」に対する反論として、外務省は1959年(昭和34年)7月11日に「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について」を発表した。この朝鮮人渡来等に関する外務省発表では「第二次大戦中内地に渡来した朝鮮人、したがつてまた、現在日本に居住している朝鮮人の大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものであるというような誤解や中傷が世間の一部に行われているが、右は事実に反する」と明記され、実情として以下のことが記載されている。 1939年末日本内地に居住していた朝鮮人の総数は約100万人。1945年終戦直前には約200万人に達した。この間に増加した約100万人のうち、約70万人は「自から内地に職を求めてきた個別渡航と出生による自然増加による」。「残りの30万人の大部分は工鉱業、土木事業等による募集に応じて自由契約にもとづき内地に渡来したもの」であった。 元来、国民徴用令は朝鮮人(当時は日本国民)のみに限らず、日本国民全般を対象としたもので、日本内地では1939年7月に施行されたが、「朝鮮への適用は、できる限り差し控え、ようやく1944年9月に至つて、はじめて、朝鮮から内地へ送り出される労務者について実施」され、1945年3月(関釜間の運航が杜絶したため)までの短期間であった。 終戦後、在日朝鮮人の約75%が朝鮮に引揚げた。 1945年8月から1946年3月までに、帰国を希望する朝鮮人は日本政府の配船によつて、約90万人、個別的引揚げで約50万人、計約140万人が朝鮮へ引揚げ、また復員軍人、軍属および動員労務者等は特に優先的便宜が与えられた。 1946年3月、連合国最高司令官の指令に基づき残留朝鮮人約65万人について帰還希望の有無を調査。帰還希望者は約50万人ということであつたが、実際に朝鮮へ引揚げたものは約8万人にすぎず、「残余のものは自から日本に残る途をえらんだ」。 1946年3月の米ソ協定、1947年3月連合国最高司令官の指令により北朝鮮引揚計画がたてられ、約1万人が申し込んだが、実際に帰還したのは350人だった。 朝鮮戦争中は朝鮮南北いずれへの帰還も行わなかつた。休戦成立後南鮮へは1958年末までに数千人が南鮮へ引揚げた。 北朝鮮へは香港経由等で数十人が、自費で「北鮮へ引揚げたのではないかと思われる」。 このように記載したあと、「こうして朝鮮へ引揚げずに、自からの意思で日本に残つたものの大部分は早くから日本に来住して生活基盤を築いていた者であつた。戦時中に渡来した労務者や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、終戦後日本に残つたものは極めて少数である」とし、1959年時点での在日朝鮮人の総数は約61万で、外国人登録票について調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきたものは245人であったとした。さらに、「終戦後、日本政府としては帰国を希望する朝鮮人には常時帰国の途を開き、現に帰国した者が多数ある次第であつて、現在日本に居住している者は、前記245人を含みみな自分の自由意志によつて日本に留まつた者また日本生れのものである。したがつて現在日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き1名もない」と結論した。 1959年の在日朝鮮人の来住特別内訳表。 登録在日朝鮮人総数 611,085人 所在不明 13,898人(1956年8月1日以降登録未切替) 居住地の明らかなもの 597,187人終戦前からの在留者 388,359人1939年8月以前に来住したもの 107,996人 1938年9月1日から1945年8月15日までの間に来住したもの 35,016人 来住時不明のもの 72,036人 終戦前の日本生れ 173,311人 終戦後の日本生れおよび入国者 208,828人
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