日本外交官時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:57 UTC 版)
日本統治時代の屏東で生まれた。高中の卒業を待たず日本へ留学。青山学院高等部で学び、その後東京外国語学校オランダ語学科に進学した。卒業後は日本外務省に就職する。当時は太平洋戦争開戦直後で、日本軍が占領した英蘭植民地の統治に必要な人材が不足しており、英語、日本語、オランダ語、マレー語、台湾語、北京語に通じていた陳をインドネシアに外交官として派遣した。 日本の敗戦と共に外務省を離れインドネシアで起業、オランダ国籍の女性と結婚している。この時期それまで植民地として統治されていた各地で独立運動が活発化し、インドネシアもスカルノを中心に独立軍が組織されオランダ当局との戦闘が繰り広げられていた。これらの独立運動に賛同した陳は日本軍が残した大量の武器を独立軍に提供し、インドネシア独立を支援した。インドネシア独立後に大統領に就任したスカルノは、陳の支援に深く感謝し国賓待遇を与えると共に、栄誉国民として顕彰している。
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