にほんこくけんぽう‐だいにじゅうごじょう〔ニホンコクケンパフダイニジフゴデウ〕【日本国憲法第二十五条】
日本国憲法第25条
日本国憲法第25条
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 09:06 UTC 版)
「プログラム規定説」の記事における「日本国憲法第25条」の解説
日本国憲法第25条におけるプログラム規定説とは、憲法25条の規定は裁判上請求できる具体的権利を国民に与えたものではなく、国に対してそれを立法によって具体化する政治的・道徳的義務を課したものであるとする学説である。 プログラム規定説はその論拠として、1.日本国憲法が予定する経済体制は資本主義体制であり個人による生活維持がまず期待されており社会主義体制における権利の性格とは根本的に異なるものであること、2.国への請求を具体的に認めるためには憲法第17条のように憲法上その趣旨が明確にされていなければならないが憲法は生存権保障の方法や手続などについて具体的な規定を有していないこと、3.生存権の具体的実現には予算を必ず伴うが予算配分は国の財政政策の問題として政府の裁量に委ねられていることなどが挙げる。 ただし、憲法25条におけるプログラム規定説は、自由権的側面については国に対してのみならず私人間においても裁判規範としての法的効力を認めており、請求権的側面についても憲法第25条が下位にある法律の解釈上の基準となることを認めている。したがって、文字通りのプログラム規定ではなく、このような用語を使用することは議論を混乱させ問題点を不明瞭にさせるもので適当でないという指摘がある。 また、朝日訴訟最高裁判決(最判昭和42年5月24日民集第21巻5号1043頁)について「この規定は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり」という部分などからプログラム規定説をとったもの分類されることもあるが、このような分類に対しては憲法で保障された権利は多かれ少なかれ綱領的性格(プログラム的性格)を有するのであり、生存権が綱領的性格を有することをもって何ら裁判規範としての意味を否定したわけではないという指摘がある。朝日訴訟最高裁判決では食管法違反事件判決と同じく憲法第25条第1項について「直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではない」としつつも「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、一応、厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあっても、直ちに違法の問題を生ずることはない。ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、法律によって与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない。」としており、行政庁の広い裁量権を認めつつ憲法第25条の裁判規範としての効力を認めている。
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