にほんこくけんぽう‐だいにじゅうごじょう〔ニホンコクケンパフダイニジフゴデウ〕【日本国憲法第二十五条】
日本国憲法第25条
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/22 02:24 UTC 版)
![]() | この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。 |
![]() | この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2017年5月) ( |
日本国憲法の第3章にある条文で、社会権のひとつである生存権を保障するとともに、国の社会的使命について規定している。
(にほんこく(にっぽんこく)けんぽう だい25じょう)は、条文
- 第二十五条
- すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
- 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
沿革
大日本帝国憲法
無し
GHQ草案
日本語
- 第二十四条
- 有ラユル生活範囲ニ於テ法律ハ社会的福祉、自由、正義及民主主義ノ向上発展ノ為ニ立案サラルヘシ
- 自由、普遍的且強制的ナル教育ヲ設立スヘシ
- 児童ノ私利的酷使ハ之ヲ禁止スベシ
- 公共衛生ヲ改善スベシ
- 社会的安寧ヲ計ルヘシ
- 労働条件、賃銀及勤務時間ノ規準ヲ定ムヘシ
英語
- Article XXIV.
- In all spheres of life, laws shall be designed for the promotion and extension of social welfare, and of freedom, justice and democracy.
- Free, universal and compulsory education shall be established.
- The exploitation of children shall be prohibited.
- The public health shall be promoted.
- Social security shall be provided.
- Standards for working conditions, wages and hours shall be fixed.
憲法改正草案要綱
「憲法改正草案要綱」、国立国会図書館「日本国憲法の誕生」。
- 第二十三
- 法律ハ有ラユル生活分野ニ於テ社会ノ福祉及安寧、公衆衛生、自由、正義並ニ民主主義ノ向上発展ノ為ニ立案セラルベキコト
憲法改正草案
「憲法改正草案」、国立国会図書館「日本国憲法の誕生」。
- 第二十三条
- 法律は、すべての生活分野について、社会の福祉及び安寧並びに公衆衛生の向上及び増進のために立案されなければならない。
帝国憲法改正案
「帝国憲法改正案」、国立国会図書館「日本国憲法の誕生」。
- 第二十三条
- 法律は、すべての生活部面について、社会の福祉、生活の保障及び公衆衛生の向上及び増進のために立案されなければならない。
性格
日本国憲法第25条は、二つの条項により二重に国民に対する国家責任を明示している特殊な条文であるが、その出自を以下に記載する。
第1項は、旧日本社会党議員であった経済学者の森戸辰男・鈴木義男らが、ドイツ帝国のワイマール憲法第151条第1項を参考にし起案した[1]。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が下書きした日本国憲法第25条には「健康で文化的な最低限度の生活」という文言は無い。この趣旨の文言を、憲法改正草案として初めて盛り込んだのは、第二次世界大戦後すぐに立ち上がった民間団体「憲法研究会」だった。1945年(昭和20年)12月に公表した「憲法草案要綱」に、こう書かれた[1]。
一、国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス
第2項は、GHQ民生局行政部所属C.F.サムス准将が、マッカーサーの命により起案した。1919年8月11日制定のワイマール憲法第151条第1項の内容は、以下の通りである[2]。
- 第151条(経済生活の秩序、経済的自由)
- 経済生活の秩序は、すべての人に、人たるに値する生存を保障することを目指す正義の諸原則に適合するものでなければならない。各人の経済的自由は、この限界内においてこれを確保するものとする。
- Artikel 151
- Die Ordnung des Wirtschaftslebens muß den Grundsätzen der Gerechtigkeit mit dem Ziele der Gewährleistung eines menschenwürdigen Daseins für alle entsprechen. In diesen Grenzen ist die wirtschaftliche Freiheit des Einzelnen zu sichern
最高裁判例
- 食糧管理法違反(最高裁判例 昭和23年12月1日)憲法76条、憲法81条
- 朝日訴訟(最高裁判例 昭和42年5月24日)
- 三井美唄労組事件(最高裁判例 昭和43年12月4日)憲法15条1項、憲法28条
- 堀木訴訟(最高裁判例 昭和57年7月7日)憲法13条、憲法14条
- 塩見訴訟(最高裁判例 平成元年3月2日)
- 厚木基地公害訴訟(最高裁判例 平成5年2月25日)
朝日訴訟最最高裁判所判決(最判昭和42年5月24日民集第21巻5号1043頁)における判例では、日本国憲法第25条をプログラム規定と解釈しており、あくまでも国の努力目標を宣言したに過ぎないとされる。従って、具体的な施策については裁量の余地が認められる[要出典]。
学説
関連条文
脚注
出典
- ^ a b 神田憲行 (2016年3月30日). “GHQでなく日本人が魂入れた憲法25条・生存権「600円では暮らせない」生存権問うた朝日裁判”. 日経ビジネス (日経BP) 2017年8月12日閲覧。
- ^ 高田敏・初宿正典編訳『ドイツ憲法集第5版』(信山社、2007年8月5日)。
関連項目
日本国憲法第25条
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 09:06 UTC 版)
「プログラム規定説」の記事における「日本国憲法第25条」の解説
日本国憲法第25条におけるプログラム規定説とは、憲法25条の規定は裁判上請求できる具体的権利を国民に与えたものではなく、国に対してそれを立法によって具体化する政治的・道徳的義務を課したものであるとする学説である。 プログラム規定説はその論拠として、1.日本国憲法が予定する経済体制は資本主義体制であり個人による生活維持がまず期待されており社会主義体制における権利の性格とは根本的に異なるものであること、2.国への請求を具体的に認めるためには憲法第17条のように憲法上その趣旨が明確にされていなければならないが憲法は生存権保障の方法や手続などについて具体的な規定を有していないこと、3.生存権の具体的実現には予算を必ず伴うが予算配分は国の財政政策の問題として政府の裁量に委ねられていることなどが挙げる。 ただし、憲法25条におけるプログラム規定説は、自由権的側面については国に対してのみならず私人間においても裁判規範としての法的効力を認めており、請求権的側面についても憲法第25条が下位にある法律の解釈上の基準となることを認めている。したがって、文字通りのプログラム規定ではなく、このような用語を使用することは議論を混乱させ問題点を不明瞭にさせるもので適当でないという指摘がある。 また、朝日訴訟最高裁判決(最判昭和42年5月24日民集第21巻5号1043頁)について「この規定は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり」という部分などからプログラム規定説をとったもの分類されることもあるが、このような分類に対しては憲法で保障された権利は多かれ少なかれ綱領的性格(プログラム的性格)を有するのであり、生存権が綱領的性格を有することをもって何ら裁判規範としての意味を否定したわけではないという指摘がある。朝日訴訟最高裁判決では食管法違反事件判決と同じく憲法第25条第1項について「直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではない」としつつも「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、一応、厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあっても、直ちに違法の問題を生ずることはない。ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、法律によって与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない。」としており、行政庁の広い裁量権を認めつつ憲法第25条の裁判規範としての効力を認めている。
※この「日本国憲法第25条」の解説は、「プログラム規定説」の解説の一部です。
「日本国憲法第25条」を含む「プログラム規定説」の記事については、「プログラム規定説」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 日本国憲法第25条のページへのリンク