日本全国絵ハガキの旅2
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「水曜どうでしょうの企画 (日本国内)」の記事における「日本全国絵ハガキの旅2」の解説
2002年5月1日 - 29日放送、全3夜。 DVD第26弾『四国八十八ヵ所III/日本全国絵ハガキの旅2』に収録。 茨城県潮来市・十二橋を行く娘船頭さん 北海道札幌市・札幌時計台 宮崎県高千穂町・刈干切り 宮崎県綾町・照葉大吊橋 備考 前回は透明なボックスの中に全ての絵はがきを入れ、そこから1枚を選ぶ方式を取っていたが、今回は「カントリーサインの旅」と同様、絵はがきをトランプを切る要領でシャッフルした束の状態から1枚引く方法で選択した。 番組冒頭で行った絵ハガキのチェック中、その中の1枚に札幌時計台が入っていることが判明。直後に行った最初の選択では「(引いても)すぐそこにあるからササっと1本終わり」と軽い気持ちでいたものの、結果は先述の通り茨城まで移動する事となる。この為、道外に出た後の2回目の抽選前には「これを引いたらその地点で旅を終了させる」ことを宣言したが、直後に鈴井が(本人曰く「(他の絵ハガキより)手触りがつるつるしていた」)時計台の絵ハガキを引き当ててしまう。「時計台は引いたらダメだ」と散々釘を刺されたにもかかわらず引き当ててしまったため、選択肢に入れた当人であるはずの藤村Dは「頭の中が真っ白になった」「6年目にして初めて次の展開がわからなくなってしまった」とするほど困惑し、大泉からも「(選択肢に入れると)引く人がいるんだから」と見通しの甘さへの指摘を受けてしまう。その後、大泉に「ディレクターと構成なんだからどうするか考えろ」と苦言を呈された藤村Dと鈴井は、“あくまでも中継地”という建前の上で企画を続行することを決定。「勇んで行ったどうでしょう班が日帰りは恥ずかしい」「千歳空港には戻れない」などと渋る大泉をなだめながら帰札した。「あくまでロケ中」という大泉の主張も虚しく、藤村Dは2人に帰宅を指示してHTB前で解散を宣言(=ロケの一時終了)。鈴井・大泉の両名は自宅へ一時帰宅し、D陣もHTBへ帰社した。 翌朝5時半に再びHTB前で集合したが、異常に早い帰宅をした大泉は月曜日に戻ると思っていた父親に驚かれ、その理由を説明したところ「なんとかインチキできんのか」「すべてがわからん」と呆れられたことを報告する。 上記のハプニングゆえに企画そのものが危機に晒された一方、札幌に戻ってきたタイミングで宮崎から新たに絵ハガキが届いており、元々の絵はがきを10枚削減した代わりにこれを行き先候補に加えた。結果的にこれが翌日以降の運命を決めることとなった。 3回目は宮崎県高千穂を引き当て、宮崎空港から高千穂へ向かった。レンタカーを借りる際に高千穂には4時間以上かかると言われたと大泉が話す。 4回目だけは、照葉大吊橋・出羽三山シリーズ(出羽三山でホラ貝を吹く山伏が写りこんだもの)・場所不明(静岡県富士市の浮島沼から見た東海道新幹線と富士山)の3枚の中から引いた。4回目の抽選により現地宿(綾町)への1泊が叶った。この宿は原付西日本制覇、対決列島の時にも泊まっており3度目の宿泊であり、出演陣が気に入ったためである。4枚目撮影までの時間は以下に挙げる地元の風景が写った絵ハガキを無抽選で照らし合わせて撮影している。高千穂峡・真名井の滝 高千穂神社 日南海岸・青島 サンメッセ日南・モアイ像なお、この時仮に出羽三山シリーズを引き当てていた場合、「サイコロの旅」シリーズや原付シリーズ同様に鈴井が『GO・I・S』とバッティングする恐れがあったため、大泉の単独ロケになることを藤村Dが示唆。結果は先述の通りとなり、この事態は回避することができた。 なお『リターンズ』においては一部の局で未放送。 大泉さんモアイ発見 サンメッセ日南に到着後、大泉・鈴井が簡単に当該の景色を発見してしまったことから、大泉に対して藤村Dが「見つけた時のインパクトがない」という理由をでっち上げ、半強制的にやらせたもの。段取りとしては大泉と鈴井が坂を登る。 大泉がモアイを見つけ道路わきのガードレールを越える。 崖を走って下りるうちに足を踏み外し、モアイの方へ転がり落ちていく。 というものだった。なお、大泉が段取りを間違えたり撮影中本当に転倒してしまったため、3回撮り直された結果、大泉は胸部に擦り傷を負った。
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