日本に対する返還要求
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 03:45 UTC 版)
「朝鮮王室儀軌」の記事における「日本に対する返還要求」の解説
盧武鉉政権下の韓国で、北朝鮮とともに「返還運動」が組織された。 2006年(平成18年)12月には、この返還運動の一環として設置された「朝鮮王室儀軌還収委員会」が主体となり、韓国国会が「日本所蔵朝鮮王朝儀軌返還要求決議文」を決議して、返還請求を行った。また、朝鮮王室儀軌還収委員会は日本政府と皇室を相手取り、儀軌返還に向けた民事調停申請をソウル中央地方裁判所に行っている。 日本共産党の石井郁子議員の朝鮮王室儀軌に関する質問に対する日本政府の公式見解は、1965年(昭和40年)の韓国との請求権・経済協力協定により、両国及び両国民間の財産、請求権に関する問題は完全かつ最終的に解決されており、また、同年の韓国との文化財・文化協定の附属書で、同文書に掲げる文化財を両国政府間で合意する手続に従って協定の発効6ヶ月以内に韓国政府に対して引き渡すと定めたものの、朝鮮王室儀軌については、この引渡しを行うべき文化財には含まれておらず、さらに、その他の条約によっても引き渡すという法的義務は負っていないため、韓国側に引き渡す法的義務を何ら負っていないとしている。日本に存在する儀軌は、その大部分が1922年(大正11年)に朝鮮総督府を経由して宮内省(現・宮内庁)に移管されたものであり、その他は購入されたもの。宮内庁の書陵部には、儀軌と名のつく書籍は約80部、160冊ほどあるとされる。韓国の朝鮮王室儀軌還収委員会によると、日本の儀軌は「五台山(オデサン)史庫本」と呼ばれる保管本(五台山史庫本については、朝鮮王朝実録参照)。 2008年(平成20年)に盧武鉉政権を引き継いだ李明博政権は、公的要求として「日韓関係の象徴として例外的な扱いを求めたい」とし、外相会談の議題とする予定を明らかにした。 2010年(平成22年)2月25日には韓国の国会で日本に対する「儀軌返還要求決議案」が可決され、同年4月6日に韓国の国会議員である鄭義和、李貞鉉、李範観、成允煥(ハンナラ党)、金富謙、李潤錫、崔文洵(民主党)が、「日本の皇室や国会議員に今年、韓日強制併合100周年を迎えて植民地時代を反省する意味で儀軌返還を促す」ために来日した。同年8月10日、菅直人首相が発表する談話の内容が閣議決定され、そこに「朝鮮王室儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらを"お渡し"したいと思います」とする一文が盛り込まれた。同年11月14日の日韓首脳会談にて朝鮮王室儀軌を含めた図書1,205冊を韓国に引き渡すことで正式に合意し、図書に関する日本国政府と大韓民国政府との間の協定(日韓図書協定)が署名された。 同年11月20日、在日本大韓民国民団は、高麗博物館や東京朝鮮人強制連行真相調査団、日本の戦争責任資料センターと、「朝鮮王室儀軌」のような図書に留まらずに、美術品や古墳からの出土品なども日本に「返還」させる方法について協議するため、韓国や日本の国会議員(民主党の石毛鍈子議員と日本共産党の笠井亮議員)を招いてシンポジウムを開催した。 2011年(平成23年)4月27日、衆議院外務委員会で日韓図書協定について民主党、公明党、共産党、社民党が賛成、自民党が反対の結果可決され、4月28日には衆議院本会議でも可決された。5月13日、朝鮮王室儀軌還収委員会は返還のために尽力したとして、共産党の笠井亮、民主党の石毛鍈子、社民党の服部良一の各衆院議員を表彰し、共産党の他の議員も出席し祝った。 2011年10月19日の野田佳彦首相と李明博大統領との日韓首脳会談時に、詩文集『正廟御製』と共に5冊が引き渡された。日本側は「日韓友好に資する」と朝鮮王室儀軌を引き渡したものの、当時の李明博政権は「取り戻した」として対日外交の勝利と位置づけた。
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