方法と学統、哲学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 01:32 UTC 版)
戴震は清朝考証学を大成した人物として知られる。とりわけ、清末民初の梁啓超や胡適によって高く評価され、中国にルネサンスをもたらした人文主義者、近代的な実証主義者、あるいは「哲学」を説いた哲学者として喧伝された。 戴震の学問の方法としては、「他人の見解」と「自分の見解」にとらわれないという態度と、最後まで信じられる根拠がなければ聖人君父の言葉であろうと信じないという態度が挙げられる。「十分の見」と「不十分の見」、つまり論理一貫し疑問の余地を残さない定理と、伝聞や推論にのみ基づく仮説を区別するという方法は近代実証学の始まりといえる。 戴震の学統を継ぐ人物としては、段玉裁・王念孫・王引之がおり、考証学の浙西学派のうち皖派を代表する四大学者「戴段二王」として総称される。この他、紀昀・王昶・畢沅・阮元といった、学者かつ官僚としても知られる人物にも影響を与えている。やがては清末の兪樾や章炳麟、そして上述の梁啓超にも受け継がれている。 戴震の扱った学問は、儒教経典に対する経学や小学(訓詁学・音韻学)だけでなく、天文学・数学などの自然学(天算・暦算)、地理学・地誌学(水地)などの諸学にわたる。『四庫全書』における『九章算術』を始めとした天算・暦算に関わる書物の提要は、すべて戴震の手によるものである。『水経注』の復元校訂に携わったことでも知られる。 とりわけその精髄は、晩年の主著『孟子字義疏証(中国語版)』にある。同書では、四書の『孟子』に対する訓詁という体裁で、宋明理学(朱子学)の説く「理」の概念を批判して、「情」「欲」を肯定する独自の思想を示した。その思想は、同書中の「聖人の道は天下の情のすべてを実現させ、その欲を遂げさせようとするものであって、このようにして天下ははじめて治まる」という一節に要約される。理というのは情から生まれるものなので、それを厳格な法律のようなもの、抑圧の道具として理解したのは後世の儒学者たちの誤解である。朱子学が「理」を物体のように存在し天から受けて心に具わるものとしたことは、人々が自分の臆断を「理」として固執するという禍を引き起こした。朱子学は、「無欲」(禁欲)を至上とする仏教の教理を儒学に持ちこんで、普通の人間の「欲」を否定して聖人のみが達することができる「理」を押しつけた。戴震は、そのような朱子学の弊害を除くべきだと主張した。梁啓超はこのような戴震の哲学を、ヨーロッパのルネサンスに比較できる倫理上の一大革命と評価している。一方で、同書は『戴氏遺書』にも収録されているものの、当時においてはあまり読まれず、肯定的に読んだのは弟子の洪榜のみで、反論を寄せたのも方東樹だけであったという。 戴震の著書は、『戴氏遺書』や、段玉裁が編纂した『戴東原集』などによって後世に伝えられている。
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