王念孫とは? わかりやすく解説

おう‐ねんそん〔ワウ‐〕【王念孫】

読み方:おうねんそん

[1744〜1832]中国清代考証学者。高郵(こうゆう)(江蘇省)の人。字(あざな)は懐祖。音韻訓詁(くんこ)の学にすぐれ、古典実証的解釈学新生面開いた。著「広雅疏証」「読書雑志」など。


王念孫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 17:37 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
王念孫
人物情報
別名 王石臞
生誕 (1744-04-25) 1744年4月25日
江蘇省揚州府高郵州
死没 1832年2月25日(1832-02-25)(87歳)
子供 王引之
学問
研究分野 儒学中国思想
テンプレートを表示

王 念孫(おう ねんそん、乾隆9年3月13日1744年4月25日) - 道光12年1月24日1832年2月25日))は、中国代の学者。は懐祖。号は石臞先生。江蘇省揚州府高郵州の出身。吏部尚書王安国の子であり、王引之の父でもある。

経歴

乾隆36年(1766年)の会試に向かう途中で読んだ江永『古韻標準』によって音韻訓詁に関心を抱く。乾隆40年(1775年)の進士であり、庶吉士となる。永定河道の長官となり、名声が高かった。のちに官職を辞して郷里に帰り、汪中・劉台拱・程瑤田などと交友を結ぶ。ふたたび朝廷に召されて工部主事となり、治水工事に貢献した。嘉慶15年(1810年)に引退して以後学問に専念し、89歳で没する。

学術業績

戴震を師とし、段玉裁・李惇・賈田祖・汪中・劉台拱・程瑤田を友とし、清朝学術の正統派といわれ、特に音韻訓詁を深く考究し、爾雅・説文に長じていた。古韻を分けて21部とし、古書伝書の誤りを正した。特に『管子』・『墨子』・『淮南子』などの諸本を初めて読める形で復元し、古代中国思想の研究に重要な役割を果たした。

著作

  • 『広雅疏証』23巻
  • 『読書雑志』82巻
  • 『王石臞先生遺文』4巻(羅振玉・編修)

参考

  • 『清史稿』487
  • 『清史列伝』68
  • 『国朝先正事略』16
  • 『国朝漢学師承記』5
  • 劉盼遂『王石臞先生年譜』
  • 吉田純「王念孫」『歴史学事典 5 歴史家とその作品』(弘文堂、1997年) ISBN 978-4-335-21035-8

脚注





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「王念孫」の関連用語

王念孫のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



王念孫のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの王念孫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS