兪樾とは? わかりやすく解説

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兪樾

清代学者浙江省徳清生。詩人の子。字は蔭甫、号は曲園。はじめ曽国藩のもと進士となるが数年退官。のち李鴻章招き蘇州紫陽書院管理その後上海徳清・帰安などの書院の長となり教育著述従事王念孫らの説を継承発展させ、当世学の宗となった。著書きわめて多く『春在堂全書五百余巻の他、日本漢文学紹介した東瀛詩選』等日本学者との交わり少なくない。また仏教・道教にも通じ、詩詞文も能くした。光緒32年(1906)歿、86才。

兪樾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/25 19:39 UTC 版)

兪 樾
晩年の兪樾
人物情報
生誕 (1821-12-25) 1821年12月25日
浙江省湖州府徳清県
死没 1907年2月5日(1907-02-05)(85歳没)
学問
研究分野 漢学儒学考証学
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兪樾の肖像画(『清代学者象伝』)
曲園

兪 樾(ゆ えつ、拼音: Yú Yuè1821年12月25日道光30年12月2日) - 1907年2月5日光緒32年12月23日))は、中国清代末期の学者文人は「蔭甫」、は「曲園」、堂号は「春在堂」。

生涯

1821年、浙江省湖州府徳清県に生まれる。祖父は兪廷鑣。父は兪鴻漸。兄は兪林。

1850年進士となる。この時試験官を務めた曽国藩は、兪樾のの「花落春仍在、天時尚艶陽」という一節を賞賛した。それを受けて、兪樾は後に「春在堂」を自身の堂号にした。

合格後、官僚として翰林院編修・国史館協修を務め、その博識を咸豊帝から賞賛されたことから、1855年には河南学政の地位についた。しかし、出題した試験の題について弾劾を受けたため辞職。以降、友人の李鴻章らの援助のもと在野で過ごした[1]

1875年、友人の援助で蘇州の荒れ地を買い取り、湾曲した地形を自ら設計して庭園を造った。庭園名を『老子道徳経』の一節「曲則全」から取って「曲園」と名付け、自らを「曲園居士」と号した。

晩年は、阮元が建設した杭州書院「詁経精舎」で講義した。1907年2月5日、逝去[2]

門人に章炳麟呉昌碩楢原陳政がいる。曾孫に兪平伯(『紅楼夢』研究者・詩人)がいる。杭州市に兪曲園記念館がある[3]

人物

考証学・諸子学

学風は戴震王念孫王引之の皖派考証学を継ぐ。特に、清末の諸子学の中心人物として知られる[4]1870年の著書『諸子平議』は、刊行後まもなく明治期の日本でも読まれた[5]孫詒譲の『墨子間詁中国語版』には序を寄せている。

日本との関わり

兪樾は日本の漢学にも関心を寄せていた。例えば、1866年には荻生徂徠の『論語徴』を読んでいる[5]

1877年には、日本から訪ねてきた漢学者の竹添井井と歓談した[6]。その時のやりとりが『春在堂随筆』にまとめられており、「『管子纂詁』の著者安井息軒を知っているか」などの質問を竹添にしている[注釈 1]1905年には、竹添の弟子の島田翰とも歓談した[注釈 2]。その他、山本渓愚らとも交流した。門人に楢原陳政がいた[10]

1883年には、日本漢詩選『東瀛詩選』を岸田吟香北方心泉の依頼をきっかけに刊行し[11][12]山梨稲川白川琴水広瀬旭荘らの詩を顕彰した。

狩野直喜倉石武四郎が伝える所では、1906年春、小柳司気太哲学会の機関誌『哲学雑誌』に「兪樾の哲学」という旨の論文を載せたところ、それを知った兪樾は「私は"哲学者"だったのか」という内容の詩を『春在堂詩編』にしたためて応え、明治日本で作られた「中国哲学」という新奇な学問分野に対し、当事者の立場から反応を示したという[13][14][15][16]

俞樾『楓橋夜泊』詩碑

兪樾は書家としても知られる。1906年秋、蘇州の名刹寒山寺所在の、張継作・文徴明刻『楓橋夜泊詩碑の修復に携わっており、その拓本が広く流通している[17]

小説

兪樾は小説家としても知られる。1889年には白話小説七俠五義』を刊行した。文言小説筆記小説中国語版)『右台仙館筆記』では、日本を含む各地の奇譚を集録している[18]

編著

500巻余に及ぶ膨大な著作を残した[19]。大概は全集の『春在堂全書』に収録されている[19]

  • 『諸子平議』
  • 『群経平議』
  • 『古書疑義挙例』
  • 春秋外伝国語平議』
  • 爾雅平議』
  • 『春在堂詩編』
  • 『春在堂随筆』
  • 『小浮梅間話』
  • 『右台仙館筆記』
  • 『茶香室叢鈔』
  • 七俠五義
  • 内経弁言』
  • 『東瀛詩選』(日本漢詩の選集)

日本語訳

参考文献

脚注

注釈

  1. ^ 『春在堂随筆』によれば、竹添は「安井は私も師事した漢学者だが、昨年九月に亡くなった。彼の死により日本の「読書の種子」は絶えた」と答えたという[7][8]
  2. ^ その時のやりとり(筆談)の全容は、島田の遺稿集『訪余録』所収の「春在堂筆談」にまとめられている[9]

出典

  1. ^ 宮内保・小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)『兪樾』 - コトバンク
  2. ^ 1907年2月5日 経学大師兪樾逝世” (中国語). 人民網. 2020年4月23日閲覧。
  3. ^ 兪曲園記念館”. 浙江省政府. 2020年4月21日閲覧。
  4. ^ 小林武『中国近代思想研究』朋友書店、2019年、418頁。 ISBN 9784892811784 
  5. ^ a b 蝦名 2011, p. 7.
  6. ^ 蝦名 2011, p. 8.
  7. ^ 春在堂隨筆四 第7頁 (圖書館) - 中國哲學書電子化計劃
  8. ^ 『中国古典文学大系 55 近世随筆集』所収、岩城秀夫抄訳『春在堂随筆』
  9. ^ 徳田 2019, 第二部一「島田翰の兪樾訪問」。「春在堂筆談」の訳釈も収録。.
  10. ^ 蝦名 2011, p. 11.
  11. ^ 蝦名 2011, p. 9.
  12. ^ 川邉 2013.
  13. ^ 高坂史朗「Philosophyと東アジアの「哲学」」『人文研究』第8巻、大阪市立大学、2004年、1頁。 
  14. ^ 倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ「講義名: 支那学概論」”. 東京大学東洋文化研究所. 2020年4月21日閲覧。
  15. ^ 哲学雑誌. 21(228)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  16. ^ 『春在堂詩編』第十三巻 64/99 - 中国哲学書電子化計画
  17. ^ 南京總統府内的楓橋夜泊碑” (中国語). 人民網. 2020年4月23日閲覧。
  18. ^ 川邉 2013, p. 47.
  19. ^ a b 『中国古典文学大系 55 近世随筆集』414-415頁。

関連項目

外部リンク



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