北方心泉とは? わかりやすく解説

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北方心泉

読み方きたかた しんせん

浄土真宗の僧。石川県生。名は蒙、幼名は祐泌、心泉は字、号は月荘・小雨等。常福寺十四世住職明治10年東本願寺中国布教事務掛として留学生引率し上海へ渡る。のち南京金陵文学堂を創設し学長就任。同32年義和団の乱により帰国。在清中胡呉昌碩多く文墨人と交わりその影響を受ける。詩書画が巧みで書は各体を能くした。明治38年(1905)寂、56才。

北方心泉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/02 00:55 UTC 版)

北方 心泉(きたがた しんせん、嘉永3年4月28日1850年6月8日) - 明治38年(1905年7月29日)は真宗大谷派僧侶書家としても知られる。心泉は、俗名は(きざし)。

北方心泉/矢吹雲岳他2名共作

人物

嘉永3年(1850年)4月28日、加賀国の金沢(現・石川県金沢市)の常福寺の住職の子として生まれる。明治元年(1868年)、常福寺14世住職となる。

明治10年(1877年)、東本願寺支那布教事務掛となり、留学生を引率して上海に赴く。清に滞在中に胡鉄梅ら清の文人と交流し、また金石文などの古代の文字を見ることで、書に影響を受ける。書の門弟に篆刻家桑名鉄城が育った。

明治32年(1899年)、再度渡清し、南京に金陵東文学堂を設立するが、義和団の乱により帰国。延べ15年を大陸で過ごした。その後、法句寺を建立する。

明治35年(1902年)、東本願寺の改革運動に加わったことにより、住職を罷免され僧籍からも除名される(のちに除名処分は取り消される)。

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