元末・明・清
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 07:42 UTC 版)
元末から明清になると科挙による官僚登用が定着し、それとともに文人が急激に増え、一般化・世俗化して社会に広く進出した。文人とは名ばかりで、それに相応しい知識や見識を持たないものまでも文人と称するようになり、文人の形骸化・劣悪化は大いに批判された。本来的にあるはずの経世済民の義務ですら全く無視し、風雅の追求のみに傾倒する文人が多数現れている。明末清初の顧炎武は『日知録』でその放蕩三昧の文人を痛烈に批判している。それとは対照的に清代中期の趙翼はその著『二十二史箚記』の中で世の中が昇平であり経済的な繁栄があったことで世の人々が文化を求め風雅を愛好するようになり、文人を歓迎し世評を高めさせることに繋がったという見方をしている。 元末から明清の代表的な文人としては、文人画で優れた業績を遺した沈周・文徴明・唐寅・徐渭などが挙げられる。 清末に科挙が廃止されてからは、伝統的な意味での文人はおのずから消滅していった。最後の文人としては、兪樾・呉昌碩などが挙げられる。
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