花関索伝の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 00:23 UTC 版)
『花関索伝』の内容の特徴は、1.主役の花関索がすべての中心で、何事も花関索が解決してしまうこと、2.史実や他の三国物語から乖離した登場人物の設定、3.物語の内部にも矛盾を含むこと、4.『演義』にも登場しない別の民間伝承由来の人物が登場することなどが挙げられ、全体的に荒唐無稽の一語に尽きる。 1.の何でも関索が解決することについては、物語中の合戦における一騎討ちはほとんどが最終的に関索が勝者となることなどが挙げられる。『平話』や『演義』では大活躍している父関羽や張飛、孔明でさえも関索の引き立て役でしかなく、敗戦したり役に立たなかったりなどと扱いの差が顕著である。関索が呂蒙や陸遜までもを血祭りに上げたり、孔明を修行と称してあっさり退場させるなど、三国志物語の設定を利用していながら、全くキャラクターが生かされていない。 『演義』では関羽の忠臣として描かれる周倉(これも架空の人物)が『花関索伝』では成都の元帥として登場し関索と戦ったり、蜀の重臣として成都にあったはずの糜竺も弟の糜芳とともに関羽を裏切るなど『演義』の設定とは大幅に異なる。蜀の官僚で南蛮勢力と戦った呂凱も、なぜか関索の敵として登場し、戦いに敗れて弟分となる(ちなみに『平話』でも関索と呂凱は敵として対戦する)。また曹操が落鳳坡で宴会を催したり、ずっと後にならないと登場しないはずの姜維が頻繁に登場するなど、作者が無知なためか、あるいは民間の伝承を元にしたためか、史実を無視した設定も多い。また物語内部の矛盾としては、劉備らが西川(蜀)へ入ったのは花関索が父関羽に会った後のことなのに、花関索が父に会いに行く当初からすでに「西川去作認父人」と述べるなど、整合性が取れていないことなどがある。 別の民間伝承から採り入れられたと思われる人物も多い。花関索の母の名は胡金定としているが、関羽の夫人の名は正史・野史などで全く記されていない。清代の宋犖『筠廊二筆』では康熙年間(1662年 - 1722年)の「関侯祖墓碑」に妻は胡氏とするものが見えるという。名の金定は『花関索伝』と同時に出土した『唐薛仁貴跨海征遼故事』で薛仁貴(唐代の名将)の妻を金定とするなど武勇に優れた女性の名として定着していたらしい。また清の兪樾の『茶香室三抄』によれば、浙江省武康県には、廉康という醜いが怪力の男が喉以外の皮膚が鉄でできており、妻の鮑三娘は美人で武芸に秀でていたが、花関索なる美少年と通じて夫の喉を射貫いて殺したという伝承があったという(『前渓逸志』)。兪樾はまた、王桃・王悦姉妹が関索に敗れて妻となり先妻の鮑氏とともに従ったという伝承にも触れている(『蘄水県志』)。これらが『花関索伝』に登場する廉康・鮑三娘・王桃・王悦などのキャラクターにつながったものとみられる。あるいは現在でも行われている京劇には「真仮関公」(または「姚斌盗馬」とも)という芝居があり、『花関索伝』後集とストーリーや登場人物(姚斌と姚賓は同音)に共通性がある。このほかにも京劇「滾鼓山」では、劉封を孔明が皇位を譲ると偽って呼び寄せ、釘を打った鼓の中に入れて殺す、という『花関索伝』別集に見える話と同じ筋を持つ。これらは『花関索伝』と同系統の民間伝承が京劇や地方劇にも採用され、残存している例といえよう。 『花関索伝』は総じて三国志的な世界を舞台として展開しているものの、登場人物はみな『水滸伝』のような豪傑であり、『西遊記』の妖怪のような人物・動物まで現れる。明代以降に白話小説が歴史小説、武侠小説、神怪小説に分化していく前の混然とした形態を物語る資料ともなっている。
※この「花関索伝の特徴」の解説は、「花関索伝」の解説の一部です。
「花関索伝の特徴」を含む「花関索伝」の記事については、「花関索伝」の概要を参照ください。
- 花関索伝の特徴のページへのリンク