花関索伝の発見
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1967年、上海市近郊の嘉定県城東公社の社員(農民)であった宣奎元が、農地の整地中に偶然発見した明代の墳墓の随葬品の中から、成化年間(1465年 - 1487年)に北平(現北京市)の永順堂という書店が刊行した歌唱詞話11冊や南戯『白兎伝』刊本などの書籍が出土した。当時は文化大革命(1966年 - 1976年)の最中だったため、宣奎元は豚小屋で個人的に保管し、1972年に古書買い受けを再開した上海書店に持ち込んだという。それを文学者の趙景深(zh)(復旦大学)らが論文として公表し、広く知られるようになった。 出土した歌唱詞話11冊の内訳は 「新編全相説唱足本花関索出身伝 前集」「新編全相説唱足本花関索認父伝 後集」「新編足本花関索下西川伝 続集」「新編全相説唱足本花関索貶雲南伝 別集」 「新編説唱全相石郎駙馬伝」("成化七年(1471年)仲夏永順書堂新刊"の木記あり) 「新刊全相唐薛仁貴跨海征遼故事」("成化辛卯(1471年)永順堂刊"の木記あり) 「新刊全相説唱包待制出身伝」「新刊全相説唱包龍図陳州糶米記」「新刊全相説唱足本仁宗認母伝」 「新編説唱包龍図公案断歪烏盆伝」("成化壬辰歳(1472年)季秋書林永順堂刊行"の木記あり) 「新刊説唱包龍固断曹国舅公案伝」 「新刊全相読唱張文貴伝」上下二巻 「新編説唱包龍図断白虎精伝」 「全相説唱師官受妻劉都賽上元十五夜看灯伝」上巻「全相説唱包龍図断趙皇親孫文儀公案伝」巻下 「新刊全相鶯哥孝義伝」 「新刊全相説唱開宗義富貴孝義伝」巻上下("成化丁酉(1477年)永順堂書坊印行"の木記あり) であり、上記の1冊目が『花関索伝』と呼ばれる関索にまつわる物語である。この発見により、謎に包まれていた関索伝説の全体像が明らかとなった。
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