演義への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 00:23 UTC 版)
詳細は「三国志演義の成立史」を参照 『花関索伝』に代表される関索の物語は、明代前期に成立した『演義』に影響を及ぼしていると見られる。『演義』のテキストは多くの種類があり、関索のエピソードの取捨によってその成立過程をある程度推測することが可能となった。前述のように『演義』の一応の完成系とみなされる毛宗崗本(清代初期に成立)に至るまでの各テキストでは関索の扱いが異なる。大きく分けて、関索が全く登場しないもの(タイプA)、関羽死後の孔明南征の際に関羽の三男関索が現れて従軍するなど簡単に触れられている程度のもの(タイプB=関索系)、関羽の二男花関索が生前の関羽を訪ね、『花関索伝』と同様の生い立ちを語った後、孔明に従って蜀征伐に従軍・活躍し、のちに雲南で病死するといった比較的詳細に語られているもの(タイプC=花関索系)に分けられる。タイプBとCは関索が死ぬ場所が異なるため、両立し得ない(蜀征伐と南征の両方に関索が登場することはあり得ない)。この分類では毛宗崗本はタイプBとなる。『平話』でも南征の場面で一度だけ名前が出るのみなのでタイプBに近い。 現存する『演義』の最古のテキストである嘉靖本や、それに次ぐ古さの葉逢春本はタイプAであり、初期の『演義』では花関索故事は全く挿入されていなかったことが伺える。ところが万暦年間(1573年 - 1620年)に福建の建安にあった書坊で出版されたと思われる20巻本『三国志伝』系のテキストではタイプCの比較的詳細に語られる関索が登場している。いっぽうタイプBの簡易版の関索が登場するのは、金陵(現南京市)の書肆が刊行したと思われる周曰校本などがある。毛宗崗本はこの系統を継承していると見られている。 明代当時、『演義』のような著名な小説は多くの書店が模倣し、出版競争で優位に立つために他の書店版にはないエピソードを挿入したり、有名人の批評を追加したりすることが頻繁に行われていた。これらの事実から、元々の『演義』には関索に関する記述はなかったものが、関羽の三男としての簡略な関索伝を南征の途中に挿入したタイプBが金陵の書店で盛行し、いっぽう福建では関羽の二男としての詳細な花関索伝を入蜀の過程にちりばめたタイプCが流行したものと考えられる。金文京はタイプCの関索伝を挿入したのは、『水滸伝』でも同様に元々の話に無かった「田虎・王慶征伐」の逸話を挿入して出版した福建の余象斗ではないかと推測している。『演義』を最終的に完成させた毛宗崗が、上記の各版の関索記述を見比べて、史実と大きくかけ離れた関索の伝説を削除していき、最終的に現在の毛本『演義』のような、ほぼ名前のみの登場となったものと思われる。 このように『花関索伝』の発見により、『演義』各テキストの系統分類や成立過程をめぐる研究も近年盛んとなっている。
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