戦後・優等列車の設定とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:40 UTC 版)
「ひだ (列車)」の記事における「戦後・優等列車の設定とその後」の解説
1951年(昭和26年)5月:戦後初めて、名古屋駅 - 下呂駅間に観光を目的とした、客車による不定期準急列車「山鳩(やまばと)」が運行される。 7月21日:名古屋駅 - 高山駅間にも不定期快速列車「乗鞍」が運行される。夏季以外には名古屋駅 - 下呂駅間に「山鳩」が引き続き運行される。 1952年(昭和27年)7月19日:この年から「乗鞍」は準急列車となる。 1953年(昭和28年)9月19日:名古屋駅 - 下呂駅の不定期準急「山鳩」が高山駅まで延長され「飛騨」と改称。これ以降、不定期に運行が続けられる。 1955年(昭和30年)5月11日:高山本線に初めて夜行普通列車(通過駅あり)運行。下りは名古屋駅発富山駅行、上りは富山駅発岐阜駅行の快速運行。 1958年(昭和33年)3月1日:名古屋駅 - 富山駅間を東海道本線・高山本線経由で運行する気動車による定期準急列車として「ひだ」の運転を開始。 9月20日:「ひだ」を1往復増発。増発列車は名古屋駅 - 高山駅間で運行される。また、従来運行されていた列車は高岡駅までの運行となる。 この頃、大阪駅 - 下呂駅または高山駅間に、不定期準急列車が運行開始される(列車愛称は「くろゆり」・「乗鞍(のりくら)」など)。 1960年(昭和35年)7月1日:「ひだ」の高山駅発着列車1往復を増発。 10月1日:「ひだ」の1往復を延長し福井駅・米原駅経由の循環準急列車「こがね」・「しろがね」とする。経路としては「しろがね」は名古屋駅→岐阜駅→高山駅→富山駅→金沢駅→米原駅→岐阜駅→名古屋駅の順で、「こがね」は逆回りであった。運転本数は「しろがね」は2本、「こがね」は1本。この列車の運行背景としては、中京圏対北陸との短絡線として高山本線が注目されていたこともあったとされる。また、「しろがね」は1本高山本線内を夜行列車(従来の夜行普通列車の格上げ)として運行された。 1961年(昭和36年)3月1日:富山駅発岐阜駅行きの夜行普通列車を「ひだ」に格上げ、富山駅発名古屋駅行きに変更。 1963年(昭和38年)4月20日:名古屋駅 - 金沢駅間の急行「加越」1往復と四日市駅 - 高山駅間の準急「ひだ」1往復が増発される。「加越」は高山本線内の停車駅は最小限におさえられ、途中停車駅は尾張一宮・岐阜・美濃太田・下呂・高山・飛騨古川・富山・高岡・津幡であった。 1965年(昭和40年)8月5日:名鉄神宮前駅 - 高山駅間で準急「たかやま」の運転を開始。この列車の運行に名鉄側は、国鉄特急形気動車に準じた内装の名鉄キハ8000系気動車を使用する。 1966年(昭和41年)3月5日:急行料金制度改訂に伴い、「ひだ」・「こがね」・「しろがね」・「たかやま」は急行列車に昇格。 3月25日:「ひだ」の四日市駅への乗り入れ廃止。 10月:名古屋駅 - 越美南線北濃駅間を運行する急行「おくみの」運転開始。大阪駅 - 高山駅間の急行「のりくら」の運転開始。「のりくら」は不定期運行ではあるが、シーズン中毎日運行されるようになった。「おくみの」の設定は1964年に運行された臨時列車「みぼろ」が前提となっているとされるが、高山本線内は「ひだ」に併結、下り列車が美濃白鳥駅 - 北濃駅間で普通列車とされるなど当初より変則的な運行であった。 12月1日:名鉄直通の急行「たかやま」を飛騨古川駅発着に変更。この時より臨時準急列車として岐阜駅 - 下呂駅間に「ライン」が運行される。 1967年(昭和42年)7月 - 8月:キハ8000系を国鉄が名鉄から借り受け、名古屋駅 - 高山駅間で夜行の臨時急行「りんどう」を下りに限り運行。 12月:「くろしお」の夜間滞泊の間合いを利用して、名古屋駅 - 飛騨古川駅間に臨時急行「ひだスキー」を下りに限り運行(上りは回送)。臨時急行に特急形気動車が使用される当時としては珍しい例となった。
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