往路の行程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 14:40 UTC 版)
シャクルトンが南極点行きに選んだ4人のチームは、残っていたポニーの数で決められた。ディスカバリー遠征の時に経験したことに影響され、長い極点を目指す旅では犬よりもポニーに信頼を置いていた。モーターは平らな氷ならば良かったが、バリアの表面には適さず、南極点行には使われなかった。南極点行きに同行するメンバーとして選んだのは、マーシャル、アダムズ、ワイルドだった。ワイルドと同じくらい南極の経験があるジョイスは、マーシャルの医学検査でその適応性に疑問が呈されたために、この隊から外された。 南行きは1908年10月29日に始まった。シャクルトンは南極点まで往復1,494海里 (2,767 km; 1,719 マイル) と計算していた。当初の計画では、往復で91日間、1日平均約16海里 (30 km; 18 マイル) 進むことになっていた。気象条件やポニーの跛行のために始まりは緩りだったので、シャクルトンは1日分の食料割り当てを減らし、110日掛かってもよいようにした。このことで1日の行程は13.5海里 (25 km, 15.5マイル) に短縮された。11月9日から21日の間は進度が良かったが、ポニーが困難なバリアの表面に苦しみ、南緯81度に達した時に4頭のうちの1頭を殺すしかなくなった。11月26日最南端の新記録ができた。1902年12月にスコット隊が達した南緯82度17分を越えた。シャクルトンの隊は29日でここまで達しており、スコット隊の59日に比べて大幅に短縮できていた。これは前の旅で出会った表面の問題を避けるために、かなり東寄りの経路を採ったことが大きかった。 隊が未踏の領域に入っていくと、バリアの表面が次第に困難で苦しいものになっていった。さらに2頭のポニーが倒れた。西にある山地が回って来て、南に向かう道を塞いでおり、隊の注意は前方の空にある「輝くかすかな光」に捉われた。この現象の理由は12月3日に明らかになった。山の連なりの麓丘陵部に登った後、彼らが見たものをシャクルトンの表現に拠れば、「南にむかう開けた道路、偉大な氷河、ほぼ南北に2つの山地の間を走っている」この氷河表面の反射が、その前に空に観測された巨大なアイスブリンク(氷のきらめき)だった。 シャクルトンはこの氷河に、遠征隊最大の出資者から「ベアドモア氷河」と名付けた。氷河表面の旅は試練であることが分かった。特に残っていたポニーのソックスはしっかりした足場の確保に苦労した。12月7日、ソックスが深いクレバスに滑落し、あやうくワイルドまで引きずり込むところだった。幸いにもポニーのハーネスが取れて物資を積んだ橇が表面に残った。しかし、その後の南行きと帰りの旅は人が曳く橇に頼るしかなくなった。 旅が続く間に人の確執が現れるようになった。ワイルドはマーシャルが「深さ約千フィートのクレバスに落ちればよかったのに」と願望を個人的に表明した。マーシャルは極点が「年取った婦人に従っているようだ。常にパニックを起こしている」とシャクルトンに書いていた。しかし、クリスマスの日はクレームドマントと葉巻で祝われた。このとき南緯85度51分、極点までまだ249海里 (461 km; 287 マイル) あった。かろうじて1か月分の食料を運んでおり、復路のために補給所に残りを保管していた。残っていた食料では極点まで行って帰ることが出来なかった。しかし、シャクルトンはまだ南極点到達が難しいことを受け入れる用意が出来ておらず、食料を切り詰め、最も必要な装備以外は残して先に進むことにした。 ボクシング・デー(12月26日)、氷河登りが遂に完遂され、極点台地上の歩行が始まった。しかし、状態は容易でなく、シャクルトンは12月31日に「これまでで最も厳しい日」を記録した。翌日、南緯87度6.5分に達しており、北極と南極を合わせて高緯度の記録を打ち立てた。その日にワイルドは「我々の隊に、ある2人の役立たず乞食(マーシャルとアダムズ)の代わりにジョイスとマーストンがいさえすれば、容易に南極点に立てただろうに」と記していた。1909年1月4日、シャクルトンは遂に敗北を認め、その目標を極点から100地理マイル (185 km) 以内という象徴的な数字に変えた。隊は生きるか死ぬかの境目にあって苦闘し、1月9日、橇もその他の装備もなしに最後のダッシュを行って南行きが終わった。シャクルトンは「我々は力を使い果たした」と記し、「到達点は南緯88度23分」と続けた。南極点から97.5地理マイル (180.6 km) の最南端だった。そこにイギリス国旗が立てられ、シャクルトンが極点台地にエドワード7世の名を付けた。
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