幸福な女学生時代
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1935年(昭和10年)、ふみ子は帯広高等女学校に進学する。高等女学校の成績は各教科ともほぼ80点以上で、上位クラスであった。学業優秀であったふみ子がやはり最も熱中したのが文学であった。女学校は本の持ち込みは禁止されていたが、こっそり山川弥千枝の「薔薇は生きてる」、川端康成の「乙女の港」などといった本を持ち込み、隠れて友人と読んでいた。こっそり学校に持ち込んだ本の挿絵の多くは、中原淳一が描いたものであった。ふみ子は中原に憧れ、その字体を真似るようになったという。なお少女時代からの川端康成への憧れが、人生の最終期に発行を計画した歌集の序文を川端康成に依頼することに繋がったという説がある。また作文の授業でふみ子が作った詩はいつも先生に読み上げられたといい、学校ばかりではなく自宅でも読書に明け暮れ、よく妹たちに本を読み聞かせていた。 2011年(平成23年)、3年時に詠んだ短歌3首が校友会誌に掲載されていることが確認され、帯広高等女学校時代からふみ子は短歌を詠み始めていたことが明らかになっている。また帯広高等女学校の一年生の時から化粧をして通学し、学校を挙げての行事である卒業生を送る予餞会の劇ではヒロインを務めて喝采を浴びたりもしており、周囲から注目を浴びることを好む性向が見える。そして高等女学校時代の成績表の性向録には「交友関係、一方的に深し」との記述が見られ、好意を抱いた人物には積極的に近づいていく性向が指摘されている。当時の担任はふみ子は個性的な成長をしていたと回想している。 1939年(昭和14年)、帯広高等女学校を卒業したふみ子は東京家政学院に進学する。母は進学に反対したものの、ふみ子自身のたっての希望で東京家政学院に入学することになった。千歳船橋にあった学生寮に入寮してそこから通学をしたが、当時、両親の商売は順調で毎月十分な仕送りがされていた。東京家政学院は文学は池田亀鑑、法学の穂積重遠、家政学は大江スミといった恵まれた教授陣を擁し、料理実習には上野精養軒や一流料亭から料理人がやって来た。ふみ子は料理上手であり、上野精養軒のコック直伝のチキンライスやオムライスは、その後父母が経営する店の従業員たちの食事などに提供されることになる。 東京家政学院時代のふみ子について、親友は「ひとことで言って厄介な人、文学的な才能に恵まれて、自分本位で周りの迷惑を考えない人、そして憎めない人」と評している。そして恩師である池田亀鑑もまた、「あなたの不羈奔放な御性分には、家政学院の先生方も手を焼いてゐましたが、私はその清純なお気持ちを美しいものと思ってゐました」と語っている。このようにふみ子はわがままかつ奔放で天真爛漫な少女であった。 小学校時代から文学少女であったふみ子が、家政学院時代に特に熱中して読んだのが岡本かの子であった。岡本かの子について、ふみ子は学生校友会の会誌に 故岡本かの子の様な、人間らしい、女らしい生活で一生を終へたいと願ってゐるのです。 と書いている。そして家政学院在学中に、「故岡本かの子へ」との注釈付きの 絢爛の牡丹のさなかに置きてみて見劣りもせぬ生涯なりし との短歌を詠んでいる。 岡本かの子を理想の女性像としたふみ子は、家政学院時代から女性であることを誇りに感じており、後に死の数カ月前に「幸福な少女時代、更になほ幸福な家政学院遊学時代」と回想したように、2年間の家政学院での学生生活を満喫した。ふみ子は麹町にあった中原淳一関連のグッズ販売店「ひまわり」に通いつめ、洋服やレターセットなどを買っていた。そして級友と共にトランプやハイキングに興じ、喫茶店やレストランへ行き、映画や芝居を観覧し、買い物、そしてダンスを楽しんだ。ふみ子の人生はその後、様々な試練、苦闘に見舞われることになるが。自分らしい生き方を貫くことを求め、女性であることを誇りに思う心性を持ち続けた。 東京家政学院時代のふみ子にはボーイフレンドもいた。ふみ子が「お兄様」と呼んだ樋口徹也である。樋口は慶應義塾大学の予科生で美男子であった。当時の友人は後に「ふみ子さんは、きれいな人でないと駄目なんですから」と評している。昭和10年代の自由な男女交際が困難であった時代、友人たちはふみ子の行動に驚いたが、在学中から樋口は航空隊に志願しており、卒業後は特別志願航空兵となったため交際は長続きしなかった。またふみ子は長女、樋口が長男であったことも二人の交際をゴールインさせることの障害になったと考えられる。 東京家政学院時代、ふみ子は池田亀鑑主催の「さつき短歌会」に参加した。短歌会では池田が短歌の添削指導も行っており、ふみ子は短歌作りに熱中するようになった。短歌の世界に目が開いたふみ子が特に魅かれたのが与謝野晶子の短歌であったという。東京家政学院時代のふみ子の短歌はさつき短歌会の詠草集「ひぐらし抄」、「おち葉抄」に掲載されている。
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