年譜・経歴とは? わかりやすく解説

年譜・経歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 07:53 UTC 版)

邱永漢」の記事における「年譜・経歴」の解説

1924年3月婚外子として日本統治時代の台湾台南市生まれる。10兄弟長男。父邱清海台湾人実業家。母堤八重久留米生まれ日本人1937年 13歳のとき台北高校尋常科入学このころから文学志して自ら詩を書き個人雑誌月来香』を発行16歳で「台湾詩人協会」の普通会員最年少)となり、邱炳南名義詩作西川満主宰する華麗島創刊号発表台北高校同窓李登輝がいた。 1943年 10月東京帝国大学経済学部入学。これについて本人は「文学部ではなく経済学部選んだことは学校のクラスメイト教師たち驚かせた。私の文学かぶれはあまねく全校生徒知れ渡っており、私が文学部にすすむのは当然のこと思われていたからである。私がそうしなかったのは、植民地台湾生まれたのような人間将来文学志して生計立てていく自信がなかったからである」(『わが青春台湾 わが青春香港』)と記している。しかし文学への関心やみがたく仏文科辰野隆講義聴講した1944年3月 邱の友人冗談真に受けた麹町憲兵隊によりスパイ容疑逮捕されたが1週間釈放このころ経済学部定期試験満州国統制経済について問われ日本満州支配経済学的に批判したところ、不穏思想持ち主として退学処分なりかけたこともある。 1945年 東京帝国大学経済学部卒業後、大学院財政学研究大学院時代東大社科学研究会(のちの全学連母体)を創設し当時まだ珍しかった世論調査実行した1946年 大学院中退して台湾戻り土建会社経営中学英語教師銀行シンクタンク研究員経験砂糖密輸手を出して逮捕されたこともある。 1948年 台湾独立運動関係して中国国民党政府から逮捕状出たため香港亡命。このとき、物資欠乏日本郵便小包商品を送る事業始めて成功収めた1950年 月収当時の金で100万円に達し香港で高級マンション住まい運転手つきの自家用車乗り回す身分となったこのころ友人窮状題材処女作密入国の手記」を執筆1954年1月 西川満紹介により「密入国の手記」が『大衆文芸1月号に掲載。「密入国の手記」が山岡荘八村上元三から評価され、『大衆文芸』誌で作家デビュー4月事業が傾いたのを機に、娘の病気の治療文学修行兼ね日本移住同年12月檀一雄佐藤春夫後押しで『濁水渓』を現代社から上梓直木賞候補となる。 1955年小説香港』で第34回直木賞受賞外国人として最初直木賞受賞者である。 1967年から1969年まで、邱が経営する株式会社求美が出資して雑誌話の特集刊行していた。 2012年5月16日東京都内病院心不全のため死去88歳没。

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