帝王学
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帝王学(ていおうがく)とは、帝王となる者が行なう修養[1]。王家や伝統ある家系・家柄などの特別な地位の跡継ぎに対する、幼少時から家督を継承するまでの特別教育を指す。「学」と名はついているが明確な定義のある学問ではなく、一般人における教育には該当しない。
広義の帝王学
帝王学は、特別な地位の跡継ぎに対する様々な幅広い知識・経験・作法など、跡継ぎとしての人格や人間形成に到るまでをも含む全人的教育である。内容は主に突き詰めたリーダーシップ論であるが、経営術や部下を統制する方法といった限定的なものではなく、自分の家系を後世へ存続させ繁栄させる、という使命感を持てるようにすることを主な目的としている。
古来、唐の太宗皇帝とその臣下との政治問答録である『貞観政要』は「帝王学の教科書」などと称されてきた。この書物は日本では北条政子や徳川家康、近年では明治天皇も愛読した。日本にはかつて士農工商・華族などの身分制度があり、徳川家康以降に藩専売制などが設けられていたことからも、帝王学の基調は全体主義である[2]。
一方、現代ではより広義に、政治家や企業家の2世、もしくは次期指導者に対して施されるリーダーシップ教育も「帝王学」と称されることもある。だが、実際に「帝王学」という言葉が使われる文脈は様々で、実際には『貞観政要』を読んだことも聞いたこともない人々によって使われることも多く、一部では誤解を生んでいる。
狭義の帝王学
狭義では、帝王学は生まれたときから帝王の座につく運命にある者の教育をいう。通常、「守り」の意味合いが強く、「 - せよ」ではなく「 - してはいけない」という内容が多い。日本においては天皇がその立場にある。皇室による帝王学は、万世一系とされる皇統をいかに維持し次代に伝えるかが主題だと解釈され、やはり新たに何かを実践するのではなく、あくまで伝統を踏襲することが基本だとされる。例えば第59代宇多天皇は、皇太子(のちの醍醐天皇)に帝王の心得として「寛平御遺誡」というものを遺しているが、それには、次のような項目が見られる。
- (敵と見做した上に下は怠惰に出るので)賞罰を明らかにし、愛憎をふりまわすことなかれ。
- (上の依怙贔屓は下のやる気を削ぐので)皆に公平に、好悪に偏るべきでない。
- (専門馬鹿は思い込みの死角を生むので)万事について惑溺して度を過ごしてはいけない(中庸)。
- (下は上の表情を読んで忖度するので)天子たるもの喜怒を慎み、表情にだしてはいけない。
明治・大正・昭和の天皇・皇太子には、思想家の杉浦重剛(獨逸学協会)や、エリザベス・ヴァイニングなどの講師が当てられた。
関連項目
帝王学に関連する文献
脚注
参考文献
帝王学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 17:41 UTC 版)
「フランツ・ヨーゼフ1世」の記事における「帝王学」の解説
将来の皇帝たるフランツは、ハプスブルク家の伝統に則って教育された。フランツは6歳の時に傅母の手から引き離され、宰相クレメンス・フォン・メッテルニヒから傅育官に任命されたハインリッヒ・フランツ・フォン・ボンベル(ドイツ語版)伯爵のもとで、週13時間の授業を、7歳の時には32時間の授業を受けるようになった。この時点でフランツが受けた授業には、ドイツ語、正書法、地理、宗教、図画、ダンス、体操、フェンシング、水泳、軍事訓練、フランス語、ハンガリー語、チェコ語が含まれていた。その後さらに、歴史、馬術、音楽、イタリア語が追加された。母ゾフィーが嘆くほどに、フランツに対する教育は峻烈なものだった。 12歳の時には週に50時間にも及ぶ授業時間が設けられ、13歳の時には勉強しすぎのストレスから病気になったが、しばらく休んだ後、さらに多くの科目が追加された。1844年以降は哲学、法律学や政治学、天文学、工学、ポーランド語も追加された。フランツが1週間に学ばねばならない科目は37に及び、授業は朝6時に始まり、夜の9時まで続いた。苦手な科目は数学と正書法であり、好きな科目は歴史と地理であった。母ゾフィーは宗教と歴史を大切に思っていたことから、この両教科の授業には必ず同席した。 国語であるドイツ語や当時の外交言語であったフランス語のほか、ラテン語、ハンガリー語、チェコ語、ポーランド語、イタリア語といったように多くの言語が含まれているが、これは多民族国家ハプスブルク帝国において重要な言語がカリキュラムに組み込まれた結果である。軍事関係については、陣営での指揮、連隊の配置、歩兵、砲兵、騎兵の任務などの訓練を受けるようになった。
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