帝王時代
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1956年、カラヤンが音楽祭芸術監督に就任した(1960年まで)。カラヤンは音楽祭の諸改革や新機軸を次々と打ち出し、1957年からはウィーン・フィル以外のオーケストラも呼ぶことになり、その手始めとして彼の手兵のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が音楽祭に初出演した。また、祝祭大劇場の建築を主導し1960年に完成、カラヤン指揮の「ばらの騎士」で杮落としが行われた。従来の祝祭劇場は1963年に改装された。カラヤン以外にも、戦前から出演していたベームを初めヨーゼフ・カイルベルト、イシュトヴァン・ケルテス、ズービン・メータ、ロリン・マゼール、クラウディオ・アバド、ジェームズ・レヴァイン、小澤征爾ら時代を代表する顔ぶれでその地位を揺るぎないものとした。この時期には一部のチケットはプレミアにより高額で取引されていた。カラヤンは指揮以外にも自ら歌劇の演出を行い、1965年の「ボリス・ゴドゥノフ」で初めて成功を得た。なおカラヤンは1967年から、同じ祝祭大劇場で復活祭音楽祭を始めた(ザルツブルク復活祭音楽祭#創立の背景)。 1970年代後半からはレヴァインの台頭が著しく、モーツァルトの歌劇の指揮を多く任されるようになった。指揮者以外では、1980年には「ホフマン物語」(オッフェンバック)でいわゆる「3大テノール」のプラシド・ドミンゴ主演、1983年にはドミンゴの盟友ルチアーノ・パヴァロッティがレヴァイン指揮の「イドメネオ」で主演している。なお、1981年8月14日に前年まで長く音楽祭に出演していたベームが死去している。 1983年と1984年には、祝祭大劇場落成時に使われた舞台装置を以て「ばらの騎士」を上演(カラヤン指揮)した。1985年には当代一のカルメン歌手とも言われるアグネス・バルツァを主演に迎えた「カルメン」がカラヤンの指揮で上演されたが、意見の相違からバルツァは翌年には出演しなかった。
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