父からのスパルタ帝王学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 19:50 UTC 版)
父のスパルタぶりは相当なもので、同じことを二度言わせると言葉より鉄拳が飛んできたという。 父・康次郎は「長たるものは人の三倍は働け」という訓を発しているように、毎朝四時起きで片っ端から系列企業のトップを電話で叩き起こし、その日の指示を電光石火のように浴びせていた。父が寝る九時以降は、時の総理であっても起こすことが許されなかったため、帝王学を受けていた義明は、常に旅館やホテルで父が寝る部屋に通じる電話交換台の穴にチリ紙を丸めて突っ込み、父の部屋に電話を絶対につながないように手を打っていたのだが、ある日それを忘れてしまった時の父の雷帝振りは、義明自身が「生きた心地がしなかった」と言うほどであったという。 大学在学中の1956年、康次郎から“冬の軽井沢に人を呼ぶ方法を考えろ”と言われ、観光学会の仲間と軽井沢スケートセンターを開設、成功を収める。また、海の近くにプールを作るという奇策と揶揄された大磯ロングビーチ(1957年)も成功させる。これは、義明の卒業論文を実行に移したものである。また、スキーシーズン以外でも氷を砕けば滑走可能というアイディアから1959年に狭山スキー場、1961年12月には苗場国際スキー場と苗場プリンスホテルを開業させる。
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