岩倉社のケベス祭
名称: | 岩倉社のケベス祭 |
ふりがな: | いわくらしゃのけべすさい |
種別1: | 風俗習慣 |
保護団体名: | 櫛来社氏子 |
選択年月日: | 2000.12.25(平成12.12.25) |
都道府県(列記): | 大分県 |
市区町村(列記): | 国東市大字櫛来字古江 |
代表都道府県: | 大分県 |
備考: | |
解説文: | 大分県国見町古江に鎮座する櫛来社は大字櫛来の氏神で、寛平元年(八八九)に宇佐八幡宮の分霊を勧請したと伝える。この社は、明治四年(一九七一)以前は岩倉社・岩倉八幡・磐坐【いわくら】社などと呼ばれており、現在でも岩倉社と呼ぶ人が多い。祭神は帯中津日子【たらしなかつひこ】命(仲哀天皇)・息長帯日売【おきながたらしひめ】命(神功皇后)・品陀和気【しなだわけ】命(応神天皇)・奥津嶋姫【おきつしまひめ】命・市寸島比売【いちきしまひめ】命・多岐津比売【たぎつひめ】命(宗像三女神)の六神である。この他、本殿に並んで摂社の若宮社・高良【こうら】社・明神社が祀られ、回廊の外には山の神社が祀られている。 俗にケベス祭の名で知られる行事は十月十五日を祭日とする九月祭の宵宮【よいみや】祭の行事で、ケベスと呼ぶ奇妙な面をつけたケベスドンが主役を演じる火祭りとして知られている。以前は、九月祭は旧暦の九月十五日に本祭が行われていた。 この祭りは宮付【みやづき】という特定の家々と、トウバグミと呼ばれる氏子の組の人たちによって執行される。宮付の家は代々世襲で、大宮司・小宮司・摂社・御饌係(ジンドウ係)・御饌係のスケ・楽人・鉾立【ほこたて】・神輿係の諸役をつとめる。また、トウバグミは大字櫛来が一〇の組に分かれて一年ずつ順につとめる。神社の役は、この他、入札で選ばれる五名の社総代がおり四年交代でつとめるが、神社の経理面を担当し、祭儀にはあまり関与しない。 十月七日にその年のトウバグミの中から、大世話人とトウバモト・オカヨ・オカヨのスケ・トウジ・トウジのスケが選ばれる。大世話人は話し合いで決めることが多いが、その他の諸役は神主の籤【くじ】で選ばれる。トウバモトはカメモトとも呼ばれ、祭りの準備の中心となる家で、トウバグミに宮付の家がある場合はその家が選ばれることも多い。オカヨは、神饌【しんせん】の調製役、オカヨのスケはその補佐役、トウジは甘酒の調製役、トウジのスケはその補佐役である。十月八日、トウバモトの母屋の軒下に甘酒を醸すカムホヤ(神穂屋)という小屋をつくる。九日にミヤクダリといい、トウバグミの人たちがオカヨを先頭に行列を組み、神社からジンドウサマの面(猿田彦面)や諸道具一式をトウバモトの家に運ぶ。ジンドウサマの面は枡に入れてカムホヤの棚の上に祀る。トウバグミの男たちはこの日から、火を混ぜない・肉類を食べない・女性を避ける・毎日禊ぎをするという厳しい潔斎の生活に入る。十日は庭火【にわび】用の薪やシダを約五〇〇束ほど用意し、十一日にはトウジとトウジのスケが甘酒の仕込みに入る。十三日の午後、籤でケベス役を決め、その後、オカヨとオカヨのスケで供物をつくる。供物は大小の鏡餅とオナワモチ、オクツガタモチである。 十四日はミヤノボセといい、ジンドウサマの面と供物・甘酒を携えて神社に上る。 この日の夕方、ケベス祭が行われる。トウバグミの男たちがシオカキをした後、笛・太鼓・鉦の楽人を先頭に大宮司・小宮司・御饌係・御饌係のスケ・ケベス・ケベスの介添え役・神主・区長・社総代などが行列を組み、境内を右にまわる。これを練楽【れんがく】という。トウバグミの男たちは白装束で拝殿脇の庭火を守る。ケベスは面をつけ、藁つとを付けたサスマタという棒を肩にし、一まわりするごとに庭火に走り込む。トウバグミの男が一人ずつ順番でこれを防ぎ行列に戻す。両者の絡みが見所の一つでもある。これを二度繰り返し、三度目には庭火を棒ではねる。この所作を三度行って九度目にはケベスが庭火に走り込み火をはねる。これと同時に、トウバグミの男たちは火の付いたシダを棒の先に刺して境内を駆けめぐり、参詣者たちに火の粉を浴びせる。火の粉を浴びると健康が得られるという。最後にケベスは西門・御供所・拝殿の前で藁つとを三回叩きつける。このときの音が良いと年柄が良いと占う。この後、ケベスは拝殿で面を外し三番太鼓の音で行事が終了する。 ケベス祭は、宮付の家々とトウバグミとで行う宮座の行事であり、年占なども伴い、禁忌も厳しく守られるなど、この地方を代表する火祭りの一つとして貴重なものである。 |
ケベス祭
(岩倉社のケベス祭 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/19 14:25 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ケベス祭(ケベスさい)は、大分県国東市国見町櫛来(くしく)の岩倉八幡社(櫛来社)で毎年10月14日に行われる火祭り。2000年12月25日に国の選択無形民俗文化財に選択されている。
概要
起源も由来も不明の奇祭[1]。かつては旧暦9月14日に行われていたので、九月祭とも呼ばれた[2]。
岩倉八幡社の境内に設けられた燃え盛るシダの山を守る白装束の「トウバ」と、そこに突入しようとする奇怪な面を着けた「ケベス」が争う[1]。「ケベス」は何度も突入を試み、ついに9度目で成功して棒でシダの山をかき回し火の粉を散らすと、その後は「トウバ」も火のついたシダを持って境内を走り回り、参拝者を追い回す。この際に火の粉を浴びると無病息災になるといわれる。
「トウバ」は神社の氏子である10の集落が年ごとに輪番で務め、「当場」の字が当てられる[2]。「ケベス」の由来は不明であるが「蹴火子」が転じたとの説がある[3]。
「ケベス」はヘブライ語で「子羊」(כֶבֶשׂ)の意味があり、日ユ同祖論で言われるイスラエルの失われた10支族や秦氏が関係する可能性があるとの説がある。
岩倉社
ケベス祭が行われる岩倉社は正式名称を櫛来社という。元来は櫛来の氏神であり、寛平元年(889年)に宇佐神宮の分霊を勧請したと伝えられている。祭神は帯中津日子命(仲哀天皇)、息長帯日売命(神功皇后)、品陀和気命(応神天皇)、および、奥津嶋姫命、市寸島比売命、多岐津比売命の宗像三女神の6柱である。
脚注
- ^ a b 火の粉舞う「ケベス祭り」開催=大分県国東市〔地域〕 時事ドットコム、2013年10月16日
- ^ a b 連載 「祭り歳時記 伝承を支える人々」 岩倉社のケベス祭 文化庁月報 平成24年11月号 (No.530)
- ^ ケベス祭【おおいた遺産】 大分合同新聞、2008年4月1日
外部リンク
- 連載 「祭り歳時記 伝承を支える人々」 岩倉社のケベス祭 文化庁月報 平成24年11月号 (No.530)
- ケベス祭 - 大分県 おおいたデジタルアーカイブ
- 岩倉社のケベス祭のページへのリンク