岡野政治学の特色
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岡野は比較的若くして教授になったこともあり、その学問的環境は恵まれていた。彼の政治学を一言で言うならば「臨床政治学」ということになろう。現場の政治を直に客観的に観察し、現代デモクラシーという基準によってその状態を評価するというものである。ただ、彼の臨床政治学は、人物の罪を問うたり政党の悪を暴くといった革新政治学者が行なう非科学的政治論を展開するものではない。岡野は、政治を臨床として考察し、その状態の病理の根拠を政治制度の歪みに求め、ひいてはその制度の成熟度を日本国民の知的水準としてみなす点で、政治家の質よりも国民の質を問題とする政治学を考究した。 彼によれば、政治家は議会制デモクラシーにおける正当な過程を経て選ばれた者であり、その政治家の権力の由来は国民に在るとする。この主権在民の思想は、岡野政治学を語る上で欠かせない。岡野の大学院生時代、憲法学の宮沢俊義に学んだ思想であり今に至るまで変節していない。国民の主権在民を前提とする以上、国民の質(民度)が低ければ政治家の質も低いとされる。サミュエル・ハンチントンの「成長の暗喩」を例にとり、脱工業化社会において国民に求められるべき認知指向は、成長の意味内容を問いなおし、公共財の創出発展を政治の最重要課題とするものでなければならないとする。その論拠は、自明とされている世界における資源の枯渇、環境問題、それらによる経済成長の問題が、政治な自由と平等を侵食しているというものである。岡野はこの政治学の課題を「政治生態学」と称している。 岡野政治学は、机上の空理空論の政治学をもっとも嫌い、国外、とりわけ北欧において政治制度の研究を行ない、そのモデルを日本の政治制度と比較することによって、双方の長所と欠点を専ら研究の対象とした。政治制度は、ありのままの制度を研究するというのではなく、政治過程における制度の形成過程の現場に立ち会い、直接実証記述を行なうという実証政治学の立場を貫いている。このような経歴を持つ岡野に対して、自由民主党、日本社会党、民社党は政治家立候補への要請を何度となく行なったが、岡野はこれを受け容れなかった。岡野政治学は、特定のイデオロギーによらない政治学を構築し、リアリズムの政治学を目指している。 田中角栄の汚職事件もリクルート事件も、政党の内部問題として批判することなく、汚職を取り巻いている日本の政治風土や日本国民を断罪することのほうに力点がおかれている。また、汚職で逮捕された田中角栄を全否定するのではなく、その政治的業績の功罪両方をバランスよく総括的に評価するという政治学者としての義務をも果たしている。 普遍的政治理念とされる「自由・平等・平和・人権・非暴力」を、どの政党も基本的に認知している点で、特定の政党に肩入れしない中立的な政治姿勢を保っている。ただし日本共産党に対してはこの点については懐疑的である。その理由は、日本共産党員とおぼしき明治大学の学生が、岡野の学長就任以前に岡野に対して度重なる暴力を振るうなどの事実があったからである。 岡野は、1992年、学長就任に際して、宮崎繁樹総長らとともに、明治大学の暴力的象徴ともいえる鉄の柵の校門・学生運動看板を完全撤去し、古い明治大学の体質を一新すべく、現在のリバティタワーの建設決定を行なった。大学政治も平和でなければならないということを行動で実行した岡野のやり方は、他大学の左翼系統の大学へと波及効果を及ぼした。このことは、岡野の大学政治・行政の功績である。しかし岡野逝去後の現在でも、岡野の学内政治に対して面白くない教員が少なからず存在する。
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