建設決定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 00:57 UTC 版)
1955年、当時の首相であるアドナン・メンデレスがモスクの数を制限する法律を撤廃、1956年にはアンカラ中心部にモスク建設予定地を確保した。1957年にはモスクと共に宗務庁の庁舎も建設することが決定し、「アンカラのイェニシェルにモスクを建設する会」は「トルコ宗務庁サイト建設・維持協会」に改められた。同年に第2回のコンペが行われ、建築家のヴェダト・ダロカイが、最新のシェル構造を用いた、これまでのオスマン建築とはかけ離れたデザインの建築案を提出、1位を獲得し建設が決まった。1960年に軍事クーデターが起きるなど着工にはしばらく時間がかかったが、1963年には宗務庁長官のハサン・ヒュスニュ・エルデムが着工を宣言。1964年にはモスクに隣接する宗務庁庁舎が完成、続いてモスクの基礎部分も完成してあとはシェルドームを立ち上げるのみという状況となったが、シェルドームは当時の建築界においては最新技術であり、ドームの設計を委託していたスペイン人建築家が急死するなどしてダロカイは期限までにドームの構造設計図を準備できなかった。
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