ダム建設の推移
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昭和47年(1972年)宝塚市水道局の第五期拡張事業計画で、将来の人口増と一人当り使用量の増加への対応とフッ素濃度の低い水源の確保を目指して川下川貯水池の建築と周辺設備の整備が定められ、調査と設計が始められた。川下川は市北部の標高200m前後の平坦な台地である玉瀬地区から渓流となって流下し、武庫川に合流している。計画では、武庫川との合流点の上流約400mの狭い谷に高さ45mのロックフィルダムを建設して貯水池を造り、そこから市街地近くに新設する惣川浄水場に水を送る、貯水池と浄水場の間の3箇所の渓流に小規模な取水設備を設け、貯水池からの導水管に合流させて所要の水量を確保するものであった。
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ダム建設の推移
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「丸山ダム (兵庫県)」の記事における「ダム建設の推移」の解説
昭和40年(1965年)頃から西宮市北部においても市街化の波が及び始めた。 生瀬駅周辺で民間企業による宅地開発が始まる。 福知山線の複線電化計画、名塩地区に新駅の構想(現西宮名塩駅)とそれに伴う周辺の開発計画。 中国縦貫自動車道の建設決定と、山口地区にインターチェンジ(現西宮北インターチェンジ)を設置する構想。 これらの計画が達成されたときには当時の貧弱な水道設備では全く対応できないため、西宮市は昭和43年(1968年)に「北部水道事業計画」をまとめ、翌年国から事業許可を受けた。水源の主体は船坂川に建設する丸山ダムで、このダムから最大給水量1日25,000立方メートルを取水し、計画給水人口75,000人というものであった。
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