ダム建設準備とは? わかりやすく解説

ダム建設準備

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 01:51 UTC 版)

大井ダム」の記事における「ダム建設準備」の解説

大井ダムおよび大井発電所は、大正から昭和戦前期にかけての大手電力会社大同電力によって建設された。 大同電力岐阜県内において木曽川水利権取得したのは、前身木曽電気興業時代1920年大正9年3月のことである。「大井地点はこのときに許可受けた5地点のうちの一つで、許可当初恵那郡中津町駒場(現・中津川市駒場)に取水口を、その下流11キロメートル地点恵那郡大井町奥戸(現・恵那市大井町奥戸)に放水口をそれぞれ設けるという水路式発電所による計画であった。だが上流の賤母地点読書地点においては木曽川河床勾配は約100分の1であるが、大井地点においては280分の1に過ぎず水路式発電所を設けるには有利な地点でないので、その後の調査ダム式発電所変更し尖頭負荷持たせることが適切と結論付けられた。そして1921年大正10年8月、「大井地点ダム式発電所変更する計画変更許可得たダム建設決まったものの、堤高50メートル級のダム建設経験当時日本にはなく、しかも下流濃尾平野控えるという立地のため、その設計・施工には周到な調査研究が必要であった。そこで大同電力では地質学者巨智部忠承委嘱して地質調査実施し、3か所の候補地精査、その中からダム建設に最も適するとして最下流の場所を選定した調査結果踏まえ1922年大正11年4月ダム発電所建設場所大井町奥戸から恵那郡蛭川村弓場(現・中津川市蛭川弓場)へと移す設計変更許可得た。またダム調査のため技師畠山好伸をアメリカ合衆国へ派遣した大井ダム発電所着工1922年7月建設所長には日本最初コンクリートダムである布引五本松ダム神戸市)などを手掛けた技術者佐野藤次郎招聘し、アメリカからも技術顧問団を招いた。ところが工事中所長佐野ダム建設コンクリート用い骨材採取所をめぐって会社対立し辞任するというトラブル発生した後任建設所長にはアメリカでダム調査から帰国した畠山好伸が就き同じくアメリカから帰国した石川栄次郎建設次長となった

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ダム建設準備

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/30 13:50 UTC 版)

川下川ダム」の記事における「ダム建設準備」の解説

武庫川水系では、西宮市川下川ダムより早い昭和40年から丸山ダム計画したが、武庫川下流の井組との水利権交渉難航して着手までに8年経過した川下川ダムではそのような問題無く計画スムーズに進んだ宝塚市川下川ダム予定地の少し上流北部地域給水用の小ダム(玉瀬ダム)を所有しており、利水権取得済みであった。また昭和34年頃から下流尼崎伊丹西宮水利組合灌漑面積減少してゆき、上流での取水対す強硬な態度軟化していた点もある。用地買収についても玉瀬ダムの建設に際して計画用地一部取得済みであり、全体買収昭和48年度末に完了した

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