ダム建設による改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 05:29 UTC 版)
電力国家管理の強化に伴い全国の主要水力発電所を日本発送電へと移管することとなったため、1941年(昭和16年)10月1日付で東邦電力は八百津発電所(放水口発電所を含む)を日本発送電へと出資した。一方日本発送電による「丸山水力」開発については、1943年(昭和18年)12月に丸山発電所の建設工事が始まった。しかし太平洋戦争中であり、資材不足や終戦間際の混乱で1945年(昭和20年)5月に工事が停止された。 戦後の1951年(昭和26年)5月1日、電気事業再編成によって関西電力などの9電力会社が発足する。再編成に際して日本発送電の発電所は、その所在地とは無関係に主たる送電先の地域の会社に帰属させる「潮流主義」の原則に基づいて9電力会社に配分されたため、木曽川の発電所は中部電力ではなく関西電力に帰属し、八百津発電所も関西電力に引き継がれた。また丸山発電所工事は関西電力によって再開され、1954年(昭和29年)4月、出力12万5,000キロワットの水力発電所として完成をみた。 当初の計画では、この丸山発電所の新設と引き替えに八百津発電所は廃止される予定であった。しかし戦後の電力需要の増加、とくにピーク時の需要(尖頭負荷)の増大に対処するため、途中で八百津発電所を存続してピーク時の発電量をより多く確保する方針に変わった。丸山発電所建設により、八百津発電所の取水口は取水ダム(丸山ダム)の脇、丸山発電所取水口の北隣となり、新取水口にあわせて水路も一部新設された。
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