尾張入国後とは? わかりやすく解説

尾張入国後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 06:29 UTC 版)

斯波義寛」の記事における「尾張入国後」の解説

越前奪われ本拠地尾張に遷した義寛だが、以後越前回復には並々ならぬ執念を燃やすこととなる。また、出家していたとは言え隠居していた義敏やその弟の義孝京都滞在して幕府朝廷との関係を維持していたことで、義寛は尾張領国経営越前回復準備専念できる状況生み出されていた。 長享元年1487年)、将軍義尚による近江守護六角高頼攻め長享・延徳の乱)が起こると、同年9月30日に義寛は尾張守護代である大和守敏定、伊勢守寛広ら両織田一族以下8000大軍率いて幕府軍に参陣し副将軍としてその主力となったこの際越前実効支配する朝倉貞景(氏景の子)が幕府軍へ参陣すると、かつての家臣と同陣することに大きな屈辱感じた義寛は、義尚に対して朝倉氏越前押領自身越前回復訴えた長享訴訟)。この争論では斯波氏朝倉氏ともに越前支配正統性主張して互いに譲らず、幕府としても討伐目標前にしながら内輪揉めは望まなかったため、義寛に色良い答え出ないまま、この争論立ち消えとなった延徳3年1491年)、義尚の後を継いだ10代将軍足利義材義稙)によって再び六角征伐が行われると、義寛はまたも大軍率いて参陣。この時の斯波軍の装いは「見物衆大道打ち塞ぐと云々。皆、小具足がり綺麗厳浄の体、比類無き」・「武衛衆の壮麗山名衆に勝る。同日に語るべからず」と賞賛されるほど華麗な軍勢であったという。また、幕府軍洛中出陣においては武家衆先陣勤めるなど、前回同様、義寛率い尾張勢は幕府軍主力形成し播磨赤松と共に六角一族山内政綱討ち取る戦功挙げたこの他、翌明応元年1492年)には近江各所六角勢を打ち破るなどして軍功重ね同年5月4日には将軍義材に代わり幕府軍総大将として琵琶湖を渡湖、近江守山に陣を進めて勢威上げた。これらの参陣中、義寛は義材に重ねて越前回復訴え延徳訴訟)ており、今回実際に朝倉退治」の御教書が義寛に下され、義材自身越前進発が噂になるなど、義寛にとって有利な方向へ事は進んだが、結局幕府朝倉氏精鋭1万といわれる軍事力二の足踏み越前回復はならなかった。 2度六角征伐において幕府軍総大将任じられた義寛は、義材との関係が微妙になっていた細川政元代わる管領候補として畠山政長とともに挙げられるようになっていた。通説では応仁の乱朝倉氏越前国奪取によって斯波氏衰退したと言われているが、義敏が出家直前斯波氏でも異例従三位叙せられ、義寛が尾張の兵を率いて幕府軍総大将務めたことから、むしろこの時期斯波氏政治的な勢力回復させていた時期とみる説もある。また、この動き足利将軍家細川氏京兆家)を抑えるために斯波氏重用したことも背景にあったとされている。また、前述のように義寛は一色義直の娘を迎えているが、丹後守護務め一色氏応仁の乱では西軍についていたが、戦後東軍であった若狭武田氏とは対立関係続いていた。応仁の乱では敵対関係にあった義敏父子一色義直であったが、婚姻関係を結ぶことで中央政治有利に運び若狭武田氏朝倉氏細川氏らとの対立勢力との争い優位にする意図があったと考えられる明応2年1493年)の義材の河内畠山基家攻めにも義寛は従軍するが、従軍中に管領細川政元によるクーデター明応の政変)に遭い、義材との親密さ災いして幕府内で孤立することとなる。こうして越前回復望みを完全に断たれた義寛は、やむなく応仁の乱以来戦友である赤松政則伴われ将軍足利義高(義澄)に出仕し、義材廃立後の幕府最高権力者となった細川政元前に屈服した谷口雄太斯波氏にとって応仁の乱とそれに続く朝倉氏越前支配よりも、そこから立ち直りつつあった矢先発生した明応の政変とそれに続く今川氏遠江侵攻による打撃の方が大きく斯波氏衰退直接的原因応仁の乱ではなく明応の政変にあった解説している。

※この「尾張入国後」の解説は、「斯波義寛」の解説の一部です。
「尾張入国後」を含む「斯波義寛」の記事については、「斯波義寛」の概要を参照ください。

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