尾張名古屋での記述より
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 02:50 UTC 版)
「日東壮遊歌」の記事における「尾張名古屋での記述より」の解説
その豪華壮麗なこと大坂城と変わりない。夜に入り灯火が暗く、よくは見えぬが、山川迂闊にして人口の多さ、田地の肥沃、家々の贅沢なつくり、沿路随一とも言える。中原にも見当たらないであろう。朝鮮の三京も大層立派であるが、この地に比べればさびしい限りである。 人々の容姿の優れていることも 沿路随一である。わけても女人が 皆とびぬけて美しい。明星のような瞳、朱砂の唇、白玉の歯、蛾の眉、茅花(つばな)の手、蝉の額、氷を刻んだようであり 雪でしつらえたようでもある。趙飛燕や楊太真が万古より美女と誉れ高いが、この地で見れば色を失うのは必定。越女が天下一というが、それもまこととは思えぬほどである。 (復路にて)女人の眉目の麗しさ、倭国第一といえる、若い名武軍官らは、道の左右で見物している美人を、一人も見落とすまいと、あっちきょろきょろこっちきょろきょろ、頭を振るのに忙しい、まるで幼児のいやいやを見ているようであった。
※この「尾張名古屋での記述より」の解説は、「日東壮遊歌」の解説の一部です。
「尾張名古屋での記述より」を含む「日東壮遊歌」の記事については、「日東壮遊歌」の概要を参照ください。
- 尾張名古屋での記述よりのページへのリンク